たほいや

 

たほいや

 

かつてそんな名前の深夜番組があった。

出題者が、広辞苑をえいやと開いて、目に入った聞いたこともない言葉を拾い上げ、解答者がその意味を言い当てる、というクイズ番組である。
手軽にできるということからちょっとしたブームになって、当時漫研の同期が「たほいや、やるか」とカバンから、あの分厚い広辞苑を、おもむろに、よっこらしょと出してきたことにびっくりした記憶がある。

人は知らない言葉に、知的好奇心を感じたりするのだろう。

 

「それは忖度して進めないと」

 

何年か前の流行語になってから、職場やらメディアやらいろいろな箇所で、この「忖度」というやつが、ずいぶんと使われるようになった気がするけれど、耳にするたびに、鼻につく感じがしている。

この違和感は何か。

まず、この「忖度」という言葉が知れ渡る以前、埋もれていたころには、僕らはこの「忖度」と同等のニュアンスを、別の言葉で代用できていたんですよね。
要するに「なくてもいい言葉」だと思うのです。

さらに、辞書で引いてもぱっと頭に入ってくる言葉でもない。

「他人の気持ちをおしはかること」とありますが、
利用するシーンが限定される高度な語彙です。なかなか使う機会もない。

にもかかわらず、使う必要もない人が、無理に使ってみようとしてシーンを探していたり、こじつけて使っているような気がするのです。

人は知らない言葉に、知的好奇心を感じることに加えて、他人に対して知的優位性を確保したいという気持ちもあるのだろう。

たぶん、僕にとって鼻につくのは、

流行への流されやすさという知的優位性とは真逆の体質をもった人が、知的優位性を確保しようとしている矛盾にあるのだと思います。

 

ごめんなさい、知りません。ではすまないのだろうかね。

 

知らないことは、知らない。というのが「素直」なのだろうと思うけれど。

 

ちなみに「たほいや」の意味は、イノシシを追うための小屋だそうです。□