UnrealEngine5でのバイバイン再現。
下手なホラー映画よりもずっと怖い。
鮨屋に行きたい。
「お腹をいっぱいにするための寿司」のような店ではなくて、
「空間から楽しむ鮨」のような店に行きたい。
疲れ切った体で暖かい風呂につかったとき、一般的には「気持ちいい」という表現がされるのだろうが、自分は、思わず「ああ、おいしい」とつぶやくことがある。
「おいしい」という感覚は、味覚で感じる以外のものもあるのではないかと思うのである。
鮨屋で「おいしい」と感じる気持ちは、鮨そのものに勿論あるのだろうが、鮨を楽しむ空間にもあると思う。
今、「空間から味わえる鮨屋」に行きたい。
個展の準備は依然、窮地から抜け出せずにいるが、無事に開催出来たら必ず鮨屋に行こう。
それを自分へのご褒美にして、今日も、格闘する。□
描きなおして初めて作品となるような気がする。
つまり1回目は作品ではない。失敗作ということです。
頭の中にあったものが画面の上に正確に投影されていない。
こんなはずじゃなかった。
どこで間違えた?
どうしたらイメージに近づける?
失敗を噛みしめて2回目を描く。
場合によっては3回も4回も描きなおす。
そうやって目指したい形が画面に定着するまで、
少しずつ近づいて行かないと完成しない。
だから時間がかかる。2回描いて1枚だから2倍の時間がかかる。
3回、4回となればどんどん遅れていく。
スパッと、スカッと、1回で美しく着地できたらいいのだけど。
制作が年々、ねちねちと、くどくなってきている。□
作品とは何か。
自分の中では、作品とは「見ていただく価値がある(と思っている)もの」。
とてもこんなものは人様に見せられない。と感じてしまうものは作品ではない。
その基準は、人によってまちまちだろう。
自分の中でも価値の境界線は動いている。
今回の個展では、自分の中の価値の水準が異常というくらい引き上げられたような気がする。
過去の個展では、個展に向け作品を始めた初期にできた作品を、個展準備の終盤にできた作品と見比べたとき、はっきりと見劣りしているということが多々あっても、その結果会場全体のバランスがちぐはぐになってしまったとしても、やむなし。と、そのギャップに手を入れることもせず本番に向かっていたように思う。
だが、今回はそれを極力ゼロにしたいと思った。思ってしまった。
そのせいで、例年30日を切る頃には完成しているはずの作品が「ほとんど全部描きなおし」となり、火の車状態になっている。
現代は忙しい時代だ。
個々の人たちの時間はますます貴重になり、そのうちの一部の時間を割いてもらうことがとても難しくなっていると思う。
そんな状況の中でも、貴重な時間を割いて、はるばる会場まで作品を見に来てくれた人に、一人でも多くの人に、価値があった。楽しかった。来てよかった。と思ってもらえるように、全力でもてなしの準備をしたい。恩返しをしたい。
結果、なんだやっぱり損した。と思われてしまったとしても、「これが今できる全力でしたすみません」と潔く謝罪できるように真摯に制作に向かいたい。□
第10回個展までいよいよ30日を切った。
個展そのものは、今目の前に並んだ作品が全て無事完成すれば
なんとか乗り切れそうな気がしてきた。
だけど注意しなくてはいけないのは「無事完成すれば」というところである。
無事完成しないときがあるのだ。
作ってみたけど、どうしても気に食わず、腑に落ちず、描きなおし。ということがあって、結局作業量が倍くらいになってしまうということが往々にしてある。(むしろそういうことがあることを覚悟しておくべきだ)
そして。
それに加え個展直前に開催される公募展への作品出品が迫っていることに気づいた。
これも盲点だった。知らず知らずのうちに背後に迫ってきていた。
100号一枚。構成すらできていない。
どうしよう........。
もう本当に、どうしよう。としか言えない感じだ。□