2024流行語大賞ノミネート考
恒例の2024流行語大賞のノミネート30ワードが発表となった。
2024年もそろそろ振り返りの時期。早いものですな。
今年の大賞予想は、もう満場一致で50-50でしょう。
圧倒的なので、予想のしがいがあまり無い。
今回のパリ五輪は、確かに名言が残らなかったなと思うけど、日本人選手たちの個々のパフォーマンスはやっぱり素晴らしかった。
「初老ジャパン」「名言が残せなかった」「かっこよすぎる俺」というのは、形がないパフォーマンスに、何か言葉を当てはめておいて、10年後も振り替えられるようにしようという試みなのだろう。言葉が無かったら、五輪があったことすら思い出せないもんね。言葉にすることで、あの頃を思い出せる。そういうツールの役割も兼ねているのだろうな。
「流行語」を突き詰めると、今年では「令和の米騒動」とか「はて?」がまさにそうなんだけれど、流行語だけに限定しちゃうとノミネートが減っちゃうから、モノやコトに無理やり言葉をあてはめたり、商品名を流行語として盛り込むということなんだろう。
アメリカ大統領選挙でトランプ大統領が再就任したことは大きなニュースだったけど、「もしトラ」がエントリーされなかったのは、他国のことだから。というのと、ノミネート発表後の11月以降のニュースだったから。ということで漏れたのだろう。
まあ、これも例年11-12月のノミネートどうすんだ問題があるんだけど。□
修行進捗 (2024/11現在)
ここ最近は、毎隔週の週末に、
2週間分の離乳食を作っている。
午前にスーパーへ食材を買い出しに行き、午後から調理開始する。
調理するだけではなく、合間に大人向けの昼食・夕食の準備、子供の散歩、洗濯、風呂掃除、洗い物等といった家事を片付けていく必要がある。
冷凍のタッパーで凍らせた離乳食を取り出し袋に移し、新たに作った離乳食をタッパーに入れて凍らせる。
洗い物がキッチンを覆い尽くす。さらに調理中に出た生ごみでキッチンが詰まっている。それらを片付けるだけでも途方もない時間がかかる。
時計を見たら、0:00を回っていた。
「あー、今日1日、俺の時間はほんとうにゼロだったな」
小さなため息が漏れる。
少し前ならば、小さなため息どころか、息抜きもできないこの事態にがっくりと落ち込んだりもしていたが、最近はまあしょうがねえや、と受け入れる堅牢な基盤が自分の中にできてきており、そこは、決定的な修行の成果だと自信を持って言える。自覚できるほどに急角度での修業が続いている。
自分の時間がないという現実(=いいかえれば一つの絶望)を自分の中に受け入れるのに1年かかった。
その日の全ての仕事を終えた後、小さく残された時間に、やりたいことを詰め込むということが出来ると思っていたが、その時間には、もはや体力が残されていない。
テレビをつけても、本を読んでも、ゲームをしても、5分と持たず舟をこぐ。
この1年の修行で手に入れた考え方の1つは、
「息抜きができればいい」ということだ。
映画が観たいとか、ゲームをしたいといった、コンテンツをこなしたいという気持ちは、突き詰めていくと、ただ「息抜きをしたい」ということだった。すなわち、別にコンテンツをこなさなくても、息抜きはできるということだ。そこに気づいてからは、だいぶ落ち着いたと思う。
もう1つは、
「育児が現在の筆頭のものづくりである」ということだ。
多くの人が経験することではあるが、個々の育児にはすべてのものづくりを押しのけるほどの大きなプロジェクトX的な想像を絶する挑戦がある。もうこの1つが出来ただけで他には手を出さなくてもいいではないか、という気持ちになっている。もちろん、絵は描くけどね。
子供が成長するとともに、親も成長しているのだ。と思う。□
制作日記 「作らない。」
新しい作品の構想に取り掛かっている。
アイデアは、ぽんと出た。
まず第一段階はクリアできたと思う。
アイデアはひねり出そうとしてこじれると長い時間何も出ないことがある。何時間、何十時間たってもボウズの釣りのように。まずは、出てよかった。
第二段階は、そのアイデアを絵として構成する。
アイデアが出たときは、もうほとんどできたと思っていたけど、エスキースに起こしてみたら思ったほどの強みがなかった。
そんなとき、なんとかして面白くしようと「作る」のだが、今回はそこにブレーキをかける。何十年もやってたら、そこが吉凶の分岐点であることがなんとなくわかってきている。
作ったら、絵が終わる。
作った絵が面白くなったためしが、これまでの自分には一度もない。
料理で例えれば、素材をそのまま食べるのが美味しいはずだったのに、試食してみたら素材の味を弱いと感じて、調味料をどんどん足していく感じ。
よくするためにしていることが、知らず知らずのうち、本来の味がかきけされて、もう何の味なのかもわからなくなってしまう。美味しいかどうかもわからない、そんな料理ができあがる。
そういうことを、やめたい。やっぱり素材の良さを前に押し出す、そういうアプローチを死守した作品作りをしたい。
作らない。
今回も、そういう絵を描きたい。完成は来年。□