大相撲と庭園

大相撲が心配です。

2018年の名古屋場所白鵬稀勢の里鶴竜の全横綱が休場。
更に次の横綱候補と言われる栃ノ心までもが怪我で途中休場。
満を持して横綱に昇格したひさびさの日本人力士・稀勢の里横綱昇格を決めた優勝のときの怪我を引きずって、8場所連続の休場中。このまま引退してしまうのではないか!?という危機に追い詰められています。

今場所は、御嶽海が奮闘しているけれど、これまでの場所を見る限り、今場所の調子がいつまで続いてくれるのか正直不安です。次の場所はどうなるかわかりません。
優勝した力士には、次の場所も、その次の場所も同じような奮闘を期待するのですが、まるでその場所が嘘だったかのように次の場所で調子を崩してしまうのです。そういう場所が続いています。

まるでもぐらたたきをみているかのよう。

それでも相撲を見てしまう。

それでも相撲は楽しい。

相撲の魅力とは、なんだろうか。

それは相撲が「庭」に見立てられるからだと考えています。

僕は「庭」をテーマに絵を描いています。
キャンバスという限られた空間の中に、ホッとできるような「庭」を描きだしたいと思っています。
僕は絵という手段を通じて、庭を作る庭師なのです。そういうつもりで絵を描いています。

庭というものは、人間が決めた限られた空間の中に自然の見立てを作り出すものです。

最も美しいところに松を植え、池を掘り、道を作る。本当の自然には決して存在しない、人間が作り出した自然(不自然)が庭なのです。
庭とは、人間の、自然に対する挑戦です。
庭とは、自然を最高の美としたときに、どこまで人間が自然の美に近いものを、手で作り出せるかという挑戦なのです。

僕は、相撲にも「庭」を感じるのです。
15日という短い期間は、庭の空間のように感じるし、力士が奮闘するさまには、人生の見立てを感じる。

庭園が「限られた空間の中に自然の見立てを埋め込んでいく芸術」とするならば、
相撲は「限られた時間の中に人生の見立てを埋め込んでいく競技」なのです。

つまりコンパクトなんですよね。
御神輿とか庭園とか盆栽とか相撲とかは、小さな空間に宇宙を詰め込むという芸術なんです。

今の大相撲は心配だけど、それも一つの庭の姿です。
ひとりひとりの力士の活躍から人生を感じたいと思っています。□