★こぶとり爺さん

 

こぶとりじいさん」という昔話があります。

 

WIKIであらすじを調べると、こんな話です。


あるところに、頬に大きな瘤(こぶ)のある隣どうしの二人の翁がいた。
片方は正直で温厚、もう片方は瘤をからかった子供を殴るなど乱暴で意地悪であった。
ある日の晩、正直な翁が夜更けに鬼の宴会に出くわし、踊りを披露すると鬼は大変に感心して酒とご馳走をすすめ、翌晩も来て踊るように命じ、明日来れば返してやると翁の大きな瘤を「すぽん」と傷も残さず取ってしまった。
それを聞いた隣の意地悪な翁が、それなら自分の瘤も取ってもらおうと夜更けにその場所に出かけると、同じように鬼が宴会している。
隣の翁は出鱈目で下手な踊りを披露したので鬼は怒ってしまい、「ええい、下手くそ!こんな瘤は返してやる。もう二度と来るな」と言って昨日の翁から取り上げた瘤を意地悪な翁のあいた頬にくっつけると「今日の宴会はもうやめだ」と興ざめして去ってしまった。
それから正直な翁は瘤がなくなって清々したが、意地悪な翁は瘤が二つになり難儀した。


このおはなしの教訓は何だろうと考えると、善い行いをしている人はいい目にあう。悪い行いをしている人はろくな目に合わない。ということになるのでしょう。
けれど僕は、このおはなしの「良いおじいさん」と「悪いおじいさん」というのはあとからのこじつけであるように感じてならないのです。

二人の人間がいる。一人はなぜかうまくいく。一人はなぜかうまくいかない。という話があって、あとから、うまくいく人間はいい人だ。うまくいかない人間は悪い人だという考え方をくっつけたような気がしているのです。

最近、自分の仕事を振り返っていたとき、ふと「僕って(こぶとりじいさんの話の)悪いおじいさんみたいだなぁ」と思い至って愕然としてしまったのでした。
まわりの人は、いつもとてもスマートに仕事をしているように見えます。
素敵だなと思ったやり方を参考にして仕事を進めますが、どういうわけか結果が全然違うのです。
まわりの人たちの場合は「わかりました。あなたのためならば!」と話がサクサクと進んでいくのだけど、僕の場合は「ふーん。そのうちね」と話が滞ってしまうことが多いように思うのです。

そこに「こぶとりじいさん」の話を当てはめると、僕は「踊りが下手で鬼を怒らせる悪いおじいさん」ということになってしまうのだけど、踊りが下手なのは認めるとして、「悪い」というところは認めたくはないのです。コンプライアンスに従って僕なりに正しく進めてはいるつもりなので。

(1)人柄が良くて、仕事ができる人。
(2)人柄が良くて、仕事ができない人。
(3)人柄が悪くて、仕事ができる人。
(4)人柄が悪くて、仕事ができない人。

きっと実際はこの4パターンあるのだろうけど、このおはなしでは(1)と(4)のことしか語られていないのです。(2)は(1)に丸められて、(3)は(4)にまるめられているのでしょう。では僕はどこだ?ということになって、愕然としてしまったわけなのです。

うまく言っている人との差ってどこにあるのだろうね。
人柄なのだろうか。言葉なのだろうか。やり方なのだろうか。

でも長く仕事をするほど、実際はこぶは取れるどころか、どんどん増えていくような気がしています。
まわりが青く見えているだけなのだろうか。みんなも、こぶをもらってばかりなのかもしれないなあ。
神社で投げるお賽銭は穢れを落とすため。とチコちゃんがいつか言っていたけど、この穢れというものが瘤の正体なのかもしれない。

みんなは、こぶ取れてますか?貰ってますか?□