メモと生きる

 

もの忘れがひどくなった。

 

といったことを、歳を重ねた人が呟いているのをよく耳にしてきたが、最近の自分にもそんなことが当てはまるように思う。

ただ、歳を重ねたから記憶力が落ちた。とか、そういったものだけではないような気もしている。

 

若かろうが歳をとろうが、忘れていいことは忘れちゃっているのです。

 

例えば、PCの設定にひどく悩んで、先に進むことができなかったような場合。

なんとかその手段を見つけ出すなり、聞き出すなりして乗り越えたとたん、もうその手段については記憶の彼方に飛んで行ってしまっているような経験は、これまで幾多とあった。

要は、悩んでいたのはただの「手段」であって、「目的」はその先にある。

そんな場合は、目的さえ達成できればいいので、最終的に目的がどのように決着がついたかについては記憶に残っているがけど、手段についてはすぐに忘れてしまうのです。

1年ほど経って、まったく同じその手段に行き詰まっている人に、やりかたを問われたとき、どうやってクリアしたかは、まったく記憶に残っていないのである。

そうして、また同じことに悩み、調べ始めたりしている。これは若さとかには関係がない。若かろうと歳を重ねようと、その瞬間で終わったことは、もうすぐにでも忘れ去られてしまう宿命なのである。

更に、もの忘れが多いことを感じる理由としては、以前ならばその場で解決出来たらすぐ終わりといった問題ばかりだったのに、最近は、同じことを毎年繰り返していかなければならないとか、後日も時折やらなくてはいけないことだったり、長きにわたって覚えていなくてはいけない手段の件が増えたということにも原因があると思う。

しかもその手段は、いわゆるおまじないのようなもので、どうしてそうでなくてはいけないのか、がわからないまま、手順だけしなくてはいけないようなものである。

例えば、確定申告のようなものだ。

若いころはやる必要もなかったことが、歳を重ねるにつれて増えてくる。

しかもそのやり方、書類の書き方なんてものは、意味も分からず言われるがままに値を書き写して乗り切っているようなケースの方が多い。だからこそ、忘れるのである。

 

自分は、そういった忘れがちな「手段」たちを、都度考え直す手間を無くすために、メモで残すようにしてきたが、そのメモをもってしても、思い出せないことがちょくちょくある。

つまりメモの仕方が悪いのである。

知りたいこと、肝心なところが、しっかり記録されていない。

メモも進化しなくてはいけない。

書いているときは、もちろん、覚えている。

ただ、きっとすぐに忘れるであろうことが確信出来ていて、その前に、未来の自分に向けて残そうとしているのである。

残すならば、きっちりしなくてはいけない。

わかっているときは、行間をすっとばしてメモをしてしまうけど、その行間を飛ばしてしまうと、もう後でなにをメモしたかも読み取れないメモが出来上がる。

それが未来の自分に実際に読まれたとき、思い出せないのであれば、メモの意味は全くない。
未来の自分が読んでしっかり思い出せるようでなくてはメモとしての役割を果たせていない。さらに、どこに書いたかを忘れないよう、分かりやすいところに残しておく必要もある。

要するに5W1Hです。

どこに、いつ、だれが、どのように、何をしたらいいのか。

そして、それは終わっているのか。途中段階なのか。もあるといい。

まあ、何を覚えて、何を忘れるか、というのは人それぞれ、大切に思っているところが違うので、やっぱり自分にあったやりかたを探していくしかないのだろうけど。

メモと生きる。

これからますます大切になるスキルだと思います。□