2020年の大きな展覧会の一つで、とても楽しみにしていた「ボストン美術館展」が中止となり、大いに嘆いていたのである。
目玉は平治物語絵巻である。
今、日本に残っていれば国宝指定間違いなしの屈指の絵巻である。
日本に多くの絵巻あれど、これほどまでに密度が高く臨場感あふれる絵巻はまたとない。
その他ボストンには、曽我蕭白のコレクションなど、かつて日本の美術があやうく廃棄されかけた時代にフェノロサらによって国外に移された奇跡の作品が多く保管されている。
今年それらが日本に来日するということで、首を長くして待っていたのであるが、コロナ禍で、移送などのめどがたたず、やむなく中止が決定された。無念の極みであったのだが。
「そういえばボストン美術館展は、以前にも開催されたことがあったっけ」
曽我蕭白の巨大な竜の襖絵にぶったまげた記憶が今も残っている。
書棚に詰め込まれた図録を紐解いてみて、びっくりした。
開催は2012年。
その図録に、平治物語絵巻がしっかりと収録されているではないか...........!!
つまり、自分は8年前の展覧会で平治物語絵巻をこの目で観ていたのである。
改めて思い起こしてみると、確かに密度の高い合戦の絵巻を見た記憶はおぼろげに残っている。あれが平治物語絵巻だったのだろう。
ただ、あのころの興味の中心はド派手な虎や竜の襖絵などにあったから、絵巻には強い関心を持っていなかったのだろう。
わーいわーい。と会場内を走り回り、観るべきものをちっとも見ていない。
観ていたとしても、忘れてしまう程度の鑑賞なのだった。ばかやなつだ。
昨日、物忘れについて「決して歳で忘れているわけではない、手段がややこしいだけだ」などと言い切ったものの、やっぱり歳の影響もあるようだ。
だが、忘れることを嘆いてはいない。忘れていいのだとも思う。
忘れるからこそ、前を向いて進めるという強みもあるのである。
良いことならまだしも、悪いことまで全く記憶から消えずに長く残り続けていたら、負の記憶が脳内に積み重なって、いずれストレスで押しつぶされてしまうことだろう。
忘れて、思い出して、また忘れて、思い出す。
記憶を塗り重ねていくことで、鑑賞の質が磨かれていくのだと思う。
ボストン美術館展はコロナ禍が収束したころにまた、再企画されるだろう。
それまでは8年前の図録をじっくり観返して、復習&予習をしておきたい。□