★聖書と古事記

 

欧米には「聖書」がある。

 

文字が読めない人に向けて、聖書の物語を絵で描いたとされるのが教会絵画である。

神が人間の姿を借りてキリストとして産まれ、生き、教えを説いていく物語は「受胎告知」や「最後の晩餐」等、エピソードが満載で、ダビンチやボッティチェリなど多くの巨匠が繰り返しその物語を描き、作品に残している。

「聖書」に対して、日本には「古事記」がある。高天ヶ原の神々が、おのころ島を生み出し、伊弉諾伊弉冉から神々が生まれ、天皇の系譜につながるという物語である。こちらも物語として奇抜なものもあり、楽しく読むことができる。

だが、西洋で聖書ならば日本では古事記だ。と対比させてみても、どうもしっくりこない。
ダビンチやボッティチェリなどの西洋の巨匠が「受胎告知」を描いたように、日本の巨匠の多くが「黄泉がえり」や「ヤマタノオロチVS素戔嗚尊」は描き残されてはいない。
唯一、青木繁古事記のエピソードを絵画作品にして残しているが、続く作家はいない印象だ。

聖書はキリストの物語であるが、古事記は神々の物語である。八百万といわれる無数の神々がバトンを渡すように物語が進んでいく。主人公をもつ物語と、系譜を語る物語が対応しないのは、そりゃあたりまえだのクラッカーである。

 

中ノ島香雪美術館で開催される聖徳太子展 で修復公開された「聖徳太子 孝養図」を観たとき、脳の中でそれまでのもやもやが、一気に氷解したような気がした。

 

西洋の「キリスト」に対して、日本では「聖徳太子」なのだ。

 

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聖徳太子の孝養図は、聖徳太子が16歳のとき父である用明天皇の病気平癒を祈ったとされる逸話を絵画や像にしたものである。手に柄香炉を持つ姿が象徴的である。
美術としても最高に美しいことに加え、まさに「受胎告知」といったエピソードのように、多くの寺や美術館に数々の作品が作られ、残されている。
聖徳太子絵伝という掛け軸や巻物も多く残されているが、こちらにも聖徳太子の神がかり的な伝説が物語として描き出されている。
馬に乗った聖徳太子が富士山を飛び越えたというような奇抜な物語まである。
様々な奇跡を残したその姿はもはや神であり、日本のキリストは聖徳太子といっても過言ではないのではないか。

さらに、香雪美術館の孝養図は、背景に描かれた山水屏風も非常に緻密で、戯れる猿までもがしっかり描かれていて、楽しませてくれる。
この芸当には、ダビンチが「受胎告知」の背景に仕掛けたギミックにもピッタリ重なって、やっぱり日本のキリストは聖徳太子なのだと確信したのである。

さらに驚くのは、この孝養図は鎌倉時代、つまりルネッサンスの300年ほど前に描かれたということである。
ダビンチやボッティチェリがあれらのキリスト絵画の傑作を生む300年前に、すでにこれら聖徳太子という神の作品ができあがっていたのである。

古事記という日本にとっての聖書がありながらも、一神的な考え方が聖徳太子という存在に重ねられて日本にも残されていたことを知り、驚愕をしたのであった。

2020年、僕にとっての美術における一番の驚きはこの体験だったと思う。□

 

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山形県長命寺の孝養像

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奈良県元興寺の孝養像