
最近はミステリばかり読んでいるから、久しぶりの村上文学に少し脳震盪を起こした。
さらっと読んで次の本に移ろう、というライトノベルのような姿勢で読み始めたものの、直ぐに、そうはいかない。と、冬眠していた村上文学脳が目覚め始めた。
一度読んだら終わりではない。
村上文学はいつも何か隠喩があったり哲学が紛れ込んでいて何度も読み返し、咀嚼する必要がある。
今回の短編集は、全体的に小説というよりもエッセイのニュアンスが強く入っている印象だ。
村上春樹の小説にはクラシックやジャズの描写が多く、本作に収録されている「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノバ」は、ジャズへの個人的な愛を全面に押し出したようなエッセイであり、チャーリー・パーカーを知らない自分にとって前半はついて行くのが苦しかった。
ところが、後半になると、とたんに文学に変貌するのだ。
チャーリー・パーカーという名演奏者が作者の夢に現れ、演奏をしてくれるという部分があるが、その表現は、チャーリー・パーカーを全く知らなくとも、その存在がどれほど大切な存在であるかといったことや、その演奏や姿勢、哲学の美しさがきっちりと読み手に伝わってくるのである。
これは「すぐれた肖像画」だと感じた。
どこの誰を描いたかどうかはわからなくとも、絵画として歴史的に残る大変優れた肖像画がある。
本作は、チャーリー・パーカーを知らなくても、読み手にとっての神々しい存在に置き換えることができ、それがどれほど輝かしいものであるかを共感できるよう、文学的に伝わるように描かれている。まさに優れた肖像画である。
これまでの村上春樹短編に比べると、全体的に余韻は弱めのように感じたが、何度も読みたくなる魅力は健在だ。
次の長編が発売されるのを楽しみに待ちたい。□