京都の錦市場に「カリカリ博士」というたこ焼き店があった。
今もあるのだろうか。
この店舗名は、ほぼ間違いなくこの映画からもじったのだろうと思う。
生前、淀川長治氏が「すごいですねすごいですね」と絶賛していて、だいぶ昔にレンタル店で借りて観たのだが、物語のほとんどを忘れていた。
それでも「すごかった」という印象だけが強烈に焼き付いている。
サイコサスペンス映画の前衛が、サイレントの時代に既に完成されてしまっていた。
映画そのもののストーリーは忘れているというのに、そう叫んだ自分のコメントだけが残り、独り歩きしているという奇妙な状態が長く続いていた。
今となってはレンタルビデオでも見つけるのが難しい古典作品だが、AmazonPrimeで視聴できることがわかり、今一度視聴して何がすごかったのかをきっちり見極めたいと思った。
(以下ネタバレします)
とある広場のベンチで二人の男性がそれぞれ体験した、身の毛もよだつ体験談を披露しあっている。
ある町の祭りの場に、20年以上眠り続ける怪人の見世物小屋を開いたカリガリ博士。
以来、殺人事件が発生するようになる。
カリガリ博士が、怪人をあやつり、夜な夜な町の人々を殺害しているという嫌疑がかけられ警察が動く。
フランシス青年は、親友が殺され、彼女も怪人に襲われてしまった。
だけど実は、その話はすべてフランシスの妄想だったのです。
彼は精神病院に入院中の患者で、院長をカリガリ博士と信じ込み、同じ病院に入院中の女性を彼女だと信じ込んでいたのである。
オープニングのベンチのシーンは精神病院の庭なんですね。
フランシスと話をする男性も精神病で、物語の入口から二人とも話が妄想になっている。目の前を歩き過ぎる女性も精神病なんだけど、カリガリ博士に襲われておかしくなってしまったと視聴者は思い込んでしまう。
のっけからだまされちゃっているという、実に見事なミスリーディングです。
機材や技術もままならない映画史初期のサイレント映画で、ここまで巧妙な罠を仕掛けた映画が出てしまっているということに、当時の僕は衝撃を覚えたのでした。
......ということを、今回改めて視聴してようやく思い出せました。
やっぱり、カリガリ博士はすごかった........!!□
追伸。
それはそうと、カリカリ博士はおいしいのだろうか。今度食べに行ってみよう。