千秋楽を終えて

 

2021年大相撲初場所の千秋楽が終わり、大栄翔の初優勝という結果となった。

 

横綱不在の場所が続く中、正代をはじめ本命とみていた大関陣を退け、多くのファンにとって盲点になっていたダークホース大栄翔の優勝である。

 

おめでとうございます!

 

........と優勝を祝う気持ちを持ちながらも刹那、脳裏によぎったのは、

 

ダークホース優勝→大関昇進→怪我→カド番→大関陥落→埋もれ定常状態

 

栃ノ心、朝乃山、貴景勝........この数年間、何度も繰り返された展開に、正直なところ、このあとの大栄翔の未来もなんとなく展開が見えてしまっていて、

「きっとまた同じことになる」

と思ってしまっている。

正直、この「偶然横綱が不在の間に、ちょっと調子が良かったダークホースの力士が優勝して、一気に綱とりか?!と期待させておいて、結局そのときだけで、直ぐに怪我をして存在すら埋もれてしまう」状態の繰り返しに、ファンとして、しびれをきらしてしまっている。

いったい、いつまで白鵬鶴竜にすがっていかねばならないのか。
また、いつまで彼らにすがりつき続けられるのか。

白鵬鶴竜の引退もそう遠くはないだろう。

横綱としてもきっと、そのポストを譲らねばならないと思わせるような、若い力に圧倒され、悔いもなく引退を決意したいと願っているのだと思う。
だが、そんな存在は一向に現れない。鬼の居ぬ間に洗濯的な、ちょっとがんばっている力士は多い中、定常的に強い力士が現れない。
一生に一度、優勝できたらいい。程度な願いをもっていて、「一時的な狂気」で優勝して、そのとたん、精魂尽き果てて丸くなってしまう。

横綱という存在は、一時的な狂気ではなく、永続的な狂気が必要なのである。

それぞれの分野において、研究も成熟して、かつてのようなやり方を繰り返しているだけでは、そうやすやすとトップには君臨できないほど、複雑になっていることは想像できる。

だけど、どんな時代にもトップは居て、大相撲ならば、白鵬のような堅牢な強さを保ち続ける存在がいる。全く居ないのであれば、納得も行くが、一人でも居るのならば、それが生き証人になっている以上、それになりかわる存在を求め続けるのが世の中である。

 

狂気が足りない。

 

これは大相撲に限らず、というか、自分に言っているのだけど、やっぱり、最先端に生きたいと思うのならば、ずうっと狂っていなくてはならない。

矢沢永吉はどこにいてもずっと矢沢永吉なのである。

自宅に戻ったときに「はー、今日の矢沢終わり!」などと言って、まるで着ぐるみを脱ぐように、ジャージ姿になって、ビールを飲みながら屁をこくおっさんに戻るなどしていては、とてもトップアーチストとは呼ばれえないのである。
きっと矢沢永吉は自宅でも、矢沢永吉のままのはずである。つまり、一生、どこにいても矢沢永吉なのだ。これが本当の我々が求めている狂気なのである。

狂気を持ち続ける。

その難しさは絵画を表現手段にもつ自分にとっても、とても難しい芸当であるが、世界の期待は残念ながら、そこにある。

「やっと期待していた狂ったやつがきた」

そんな存在になれるよう、日々努めたいものである。□