制作日記

 

体得する。

 

改めて「体得」を考える。
頭では知っているが、体は知っていないことが多いような気がする。

例えば、
米1合を炊くために必要な水の量がどれくらいの量であるか。
200ml。と頭で知っていたとしても、200mlがどれくらいの水の量であるかがイメージできない場合がある。
計量カップでいざはかってみたら「あ、これくらいの量が200mlなのか」と知るのである。
長く米を炊いているので、1合を炊くとき、だいたいの勘で水道の蛇口を開き、閉じるとほぼ間違いなく1合を炊くのに適当な量になっている。
計量カップを使わなくても、水道から出るだいたいの水の重さで、ほぼ200mlというが測れている。これが「体得できた」ということではないか。

びっくりドンキーでハンバーグを注文するとき、メニューに「ハンバーグステーキ100g、150g、200g」とあるが、それぞれがどれくらいの量なのかがわからない。
どれが自分の胃にとって適当な量なのか。
これも実際に注文して、見て、食べてみて「これが100gのハンバーグか」と体で知ることで、100gという量を「体得」したことになるのだと思う。

 

これらは簡単な例だったが、スポーツや芸能などで複雑な動きを求められる技は、体得にさらに時間がかかったり、どれだけ時間をかけても体得できないといった個人差を伴う技もでてくる。

 

 作品制作のエスキースに、ずっと水彩絵の具を使っている。
だが長く使っている割には、水彩絵の具のエッセンスをほとんど体得していないことに、はたと気づいて愕然とする。
太い筆にたっぷりの水をしみこませ、パレットに出した絵の具に大胆に筆を押し付けて、水気のたっぷりしみ込んだ筆を画用紙に押し当ててダイナミックに描いていく。
そんな使い方をしているから、水彩絵の具の機微というものが全く体得できていない。

水彩絵の具は、水の量で濃度を調整する。
水が少なければ、絵具は濃いし、水が多ければ薄くなる。
それはわかっている。だけど、水の匙加減による濃度の調整はほとんどできていない。

色を置いた直後にはかなり濃いめに見えた色も、水分が蒸発して画面に色が定着してみると、思った以上にあっさりと薄くなってしまっていて、もう一度上から絵具を重ねてみたりする。そんなことをずっと繰り返している。

そろそろちゃんと水彩を体得しなくてはと思う。

スケッチを長くやっていると、ときに誰かに「レクチャーしてください」なんて言われることがあるけれど、ほとんど身になる話ができない。
長くやっているということだけで周囲は、さぞかしベテランであるとこちらに大いなる期待をかけてくれるのだけど、ぶっちゃけ、それに応えることができていない。
周りが期待してくれているものにきちんと応えられるようになりたいと、少しずつ思い始めている。□