聖徳太子と法隆寺展

 

奈良博の「聖徳太子法隆寺展」にはあまり期待をしていなかった。

 

f:id:massy:20210612224330j:plain

 

確かに聖徳太子生誕1400年というのはすごいしめでたいから見ておきたいとは思っていたけど、そもそも法隆寺には2、3年前に行っていて多くの国宝等を見つくしていたし、チラシをみてもあまり面白くなさそうである。

が。

ごめんなさい。

というしかない。素晴らしかったのです。

オルセー美術館展というのを日本でも毎年のようにやっているが、企画する学芸員たちは馬鹿ではない。
前回みたファンに「またか」と思われないよう、すでに見ている人でも、初めて見る人でも、楽しめる仕掛けというのを必死に考えて仕掛けているものである。
同様に、法隆寺を一度見たからと言って、自分たちは何を見たというのか。
それですべてを知ったつもりになっていたのか。
そう自分になげかけ、改めてこの展覧会をみたときの驚愕を噛みしめ、その奥深さに、自らの自惚れや浅はかさを認め、謝罪するしかないのである。

深い。

とても1度や2度みただけでは見切れぬほどの宝物があり、たとえ同じものであっても改めてみると新しい発見がある。

チラシにあった27年ぶりに寺外での公開となった秘仏の国宝・聖徳太子像とその仲間たち。

写真で見たときには、ちっとも魅力を感じなかったのだが、会場で見ると、聖徳太子像の中に埋め込まれた巻物がX線写真で見つかったといった調査報告や、聖徳太子の仲間たちのユーモラスな表情も加わって、すばらしいエンターテインメントとして鎮座していた。

f:id:massy:20210612231038j:plain

f:id:massy:20210612231106p:plain

 

また、すでに香雪美術館でみていた「孝養像」だったが、法隆寺がもつそれはアニメのようなタッチでとても面白く、新しい発見があった。

f:id:massy:20120518173726j:plain

 

法隆寺にありながらも未だ見たことがない宝物が溢れ、また見たものであってもそのときとは全く違う、国立博物館ならではの潤沢な空間を生かした展示がされている。

会場はとてもチラシを見ただけでは味わえない臨場感に溢れている。

法隆寺を訪れたからと言って、またチラシを見たからと言って、観たつもりになっているのは大馬鹿野郎なのである。

 

参りました。

 

僕らは、もはや何も知らない。観たことすらない。

展覧会には、そんな気持ちで臨むべきなのである。□