よゐこチャンネルを見ている。
とくにダークサイドを。
一番くじを引く。一喜一憂する。
それだけで魅力のある番組になってしまうことに、新しい驚きと発見があった。
芸能人やタレント、アーチストなど様々な人々がYouTubeにチャンネルを持つようになってきている。
昭和の戦後、街頭に一台のテレビが現れ、多くの群衆が殺到して一台のテレビ画面の力道山を見つめたという時代から始まり、白黒はカラーになり、一家一台になり、一人一台になり、ビデオによって好きな時間に好きな番組を見られるようになり、ハードディスクレコーダーによって録画しながら番組が見られるようになり、CMをスキップできるようになり、自分の番組表を編成できるようになった。
そして今。動画配信チャンネルを立てることで一個人がテレビ局を開設する時代にまでなってしまった。
消費者からすると、コンテンツが溢れ、とても観る時間がないが、かつてのように広くあまねく多くの人たちが1つの番組を視聴するのではなく、今後は個人の嗜好に特化したニッチな映像コンテンツに、視聴者が分散するようになっていくのだろう。合わせて広告のモデルも様変わりしていくのではないか。
ガチャガチャとか一番くじというものが大好きである。
秋葉原に出かけたときは、ガチャポン会館に必ず足を運び、それこそニッチなおもちゃが売られているガチャガチャを見つけては遊んだものである。
だが、当たったおもちゃはしばらくすると部屋の多くの場所を占有するようになってきて、管理が難しくなってくる。
そういう経験から、ガチャガチャを遊びたい気持ちやおもちゃに関心はありながら、遊ぶことからは徐々に離れてきていた。
そこにきてのダークサイドである。
ガチャガチャを遊びたい気持ち、一番くじを引きたい気持ちを、よゐこが代行してやってくれる。それを眺める。
一回750円の一番くじを20本購入する。
A賞は5000円くらいはするであろう細かいところまで完成されたフィギュアである。
まるでそれを狙うのが自分であるかのように1枚1枚くじを引く映像に目が釘付けになる。
そして当たったときは歓声をあげる。
番組は、その後当選した景品を開けてしっかり分析、愛でるところまでをやる。
それだけで、自分の中での欲望がすっと抜けるような気がするのだ。
そういう経験で、あたかもバーチャルリアリティのように気分が解消されることをこの動画で気づいた。
ゲームをする時間のない人が、誰かが代わりにプレイする動画を観ることで、ゲームをやりたいが出来ない、というストレスを解消することにも近い。
動画配信というものが、個人の遊びを代行するという視点は、 今後もいろいろな発見を誘発してくれるかもしれない。□