正しい舌

 

ものすごく口コミ評価の高い天丼の店がある。

 

「こんなところに店が?」という住宅地の真ん中にぽつんと1軒あり、平日しか営業していない、というような店だったから、口コミは高かろうが、行ってみたら空いているのだと思っていた。

が、店についてみると前の駐車場は、車でみっちりと埋まっており、予約はしていたので直ぐに席にはつけたものの、次々と客が来ては、店員が「かなりお待ちいただくことになるかと思います.......」などと謝りながら迎えるような超人気店であった。

ネットでみた噂は嘘ではなかった.....。という大人気ぶりである。

天とじ丼を注文。

あふれだす期待を胸に、待った。

 

 

 

が。

 

 

 

 

もたれた。

 

 

 

ごはんが見えないほど、どんぶりの上に積まれた天麩羅たち。

とくにエノキをイチョウの葉のように広げたエノキ天麩羅は、この店の十八番のようで、インスタ映えするということもあって、ネットにも多くの写真があげられているのだが、1つ食べてみると、どすんと胃に落ちていく重力を感じた。

その他、海老天が2尾、茄子天が1、マイタケ天が1、といった内容だったが、なんとか全部胃に入れたころには、しっかりと胃もたれしていた。

それもそのはずだ。

カウンターから見える巨大な鍋の油は、朝から一度も変えてはいまい。

イチョウの葉のようなエノキ天麩羅の隙間には、その繰り返し使われた油がたっぷりとしみ込んでおり、天麩羅を食べると同時に、油を飲んでいるような状態になる。

さらに急いで揚げたせいか、天麩羅のコロモが具にしっかりついておらず、お盆の上はぼろぼろと落ちまくった天かすだらけである。

 

天丼というものは、もともとジャンクフードであると思っているので、まあこんなものかという気持ちで食べきったものの、改めて「なんで、これに、あの絶賛?」という疑問が湧き出てくる。他の天丼店と大差はない。むしろ胃もたれ度ではこちらの方が圧倒的に上である。

改めてネットをみるが、絶賛の口コミしかない。

どんな店であっても賛否はあるだろうが、この店に限っては否の口コミは一切なく、賛の口コミしかないのである。

 

「さくさくと食べられて、まったく胃もたれもなかったです」

 

「最高でした」

 

「今まで食べた天丼の中でも、最もおいしかったです」

 

........そんな絶賛の口コミが並ぶ。店を訪れ、改めてそれらを眺めてみて、本当に自分が食べたあの天丼は彼らが食べたものと同じだったのかどうかがわからなくなってくる。

まさか狐にでも騙されて葉っぱでも食わされていたのではないか。そんなことすら考えてしまう。

もちろんそれはありえない。同じものを食べているのである。

 

似たような経験が、かつて徳島をおとずれたときにもあった。

徳島のとある海沿いに生きのいい最高の刺身をだす定食屋があるということで訪れたのだが、この店も、ネットでは、絶賛、絶賛、大絶賛という口コミの店であった。

店に行ってみると、予約はできない店で、店の前に行列ができている。

どれほどのものが出るかと、期待に胸を膨らませ、待ったのだが。

出てきた魚は荒々しいぶつ切り。

嚙み切れないような大きさで、まるで鉛の玉を1つ1つのみ込むような重さがあった。

とてもうまいとは言えるものではなかった。

だが、こちらもネットにあるのは絶賛の口コミだけだったのである。

 

僕の舌がおかしいのか、それとも口コミを書いている人の舌がおかしいのか。

 

いまだにわからない。世の中にはそんな店があるのである。

 

徳島のときには書かなかったけど、今回2店目に遭遇したので書いてみようと思った次第である。

 

みんなのうまいうまいという口コミを見ているうちに、美味いに違いないという洗脳がされたのか。かつては美味しかったが、今は人気が出すぎて質がおちたか。やっぱり僕の舌が相当、ざるなのか.......。

正しいのは、誰の舌か。□