制作日記

 

最近自分を落ち込ませているのは、自分のアウトプットの質の低さなのだと思う。

 

業務も。

 

絵画も。

 

漫画も。

 

どれも、手ごたえがない。結果がでない。

いろいろ手を出しすぎて、力や時間が分散しているせいかもしれないけど、では一点集中でやりこんだら、よくなるかといえば、きっとそうはならないことも、これまでの経験でうすうす感づいている。

手を抜いているのかもしれない。でも、手を抜かずにやっても、まあ大なり小なりこんなものか、ということだともなんとなく気づいている。
高速道路を時速100㎞で飛ばそうが、時速80kmで飛ばそうが、ついてみたらせいぜい数分程度の差でしかない。自分の表現は、それほどの僅差で戦っている感じでもないのだ。

 

以前、長く日展に作品を出品し続けている市美術協会理事が、「賞を取れない」と嘆いていた姿が今の自分に少し重なる。

別に偉くなりたいとは思わないけど、自分がこれまでやってきたことが、多くの人に共感を与えたとか、称賛を受けたとか、賞をもらったとか、そういう形で「正しかった」という結果がでる。そんな手ごたえというか安心感が欲しいのかもしれない。

 

誰もが表現できる時代であり、表現者たちはいかに自分の作品に目を向けてもらうか、時間の争奪戦をしている。おのづとコンテンツの質はものすごく高くなり、そうやすやすと人の眼に泊まるのが難しい時代だ。

実際、テレビやら、映画やら、音楽やらで、活躍するアーチストたちの作品にふれるたびに、彼らの活躍が華やかすぎて、とても割り込んでいけないという気持ちに気づき、消費する側としては楽しませてもらいながらも、表現する側としてはますます気が滅入ってくるのである。

雑草の花であることは既に覚悟し受け入れてはいるけれど、せめて花が咲いていることくらいは、見つけてほしいものだ。

今一番、乾いている時期なのかもしれない。砂漠の真ん中にいるような。□