山口晃氏のことばを、聞くほぼ日 で聞いていたのだけど、
この第二回目「直感の精度」で、黒澤明監督が七人の侍の着想をもったときのことについて語っている下りが刺さりました。
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黒澤明監督が『七人の侍』の着想を得た瞬間というのは。
「自衛のために侍を雇った農村は野武士から略奪されなかった」
という、文献中の一文を読んだときだったそうです。
その瞬間、あの物語が閃いたんですって。
「自衛のために侍を雇った農村は野武士から略奪されなかったという物語」
という、ちいさな塊があるだけの、
あくまで直感的な閃きにすぎなかったはずです。
でも、いちばん「含んでる」んですよね。
その塊は、『七人の侍』のエッセンスを。
そこが、いちばん「豊か」なんです。
ですから、その後の作業、
つまり脚本を描いて、キャスティングして
撮影をして、編集して‥‥という
一連の作業は
その「直感的な閃き」を
3時間半の映画に仕立て上げてゆくための
「つじつま合わせ」でしかない、と。
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作品を作るにあたっての、
「つじつま合わせ」「装飾」「とがらせる作業」・・・といったものって、極論、いらない仕事なんだよな。
多くのイケてない仕事ってのは、いちばん「豊か」なところ「エッセンス」がみつからずに、いらない仕事でそれらがあるように捏造をしようとしてる。
怪談を聞くときも、似たようなことを体験することがある。
本当に怖いはなしって、別にプロでなくても、誰が話しても怖いんです。
隣の友人が「ねえちょっと聞いてよ」って一言二言いうだけでも戦慄する程怖い。
それがあるかどうか、なんですよね。それがないものを話し手の話術とか演出で怖いと思わせようとしているのは、もう全然怖くないのです。
あるか、ないか。って結局、もう作品になる前の時点で答えが出ちゃってる。
で、それは観る側、聞く側にリテラシーなんてなくても、人間であれば直感的にわかっちゃうことなんだよな。□