現代は誰もが忙しい。めちゃくちゃ忙しい。
さらに個人が放送局となりYoutubeに公開された動画が溢れる。
視聴者の目はニッチな嗜好に応えてくれるコンテンツに分散する。
それでも人間の1日の時間は誰もが24時間しかもっていない。
制作者は視聴者の目をいかにこちらに向けさせるか、必死で考えている。
時間の争奪戦を繰り広げている。
TwitterやらFacebookといったSNSでも面白い漫画や美麗なイラストレーションやアートが溢れている。
こんなに面白いものが!?
こんなに美しいものが?!
どれを見ても目を見張る。
だがそんな優れた作品ですら、制作者が1週間かけてつくった作品ですら、時間のない視聴者が5秒でも目を止めてくれたら、感謝感激ありがとうございます!という時代なのである。
ものづくりのヒエラルキーはスカイツリーのようにそびえたち、人の眼を止める作品をつくれるトップに君臨する人はごくごくわずかである。
さて。
このようなコンテンツ過多の時代に、はたしてファインアートである我が絵画作品に目を向けてくれる人間がどれほどいるだろうか。
ネットに発表された作品であれば、家にいながらにしても、外出先でも、どこでも気軽にスマホを使って閲覧することができる。
だが、画廊は足を持たない。
画廊に発表された作品を見てもらうためには、お客さんは極めて貴重な時間を割き、貴重なお金を使って電車に乗り、貴重な労力を使って会場にまでご足労いただかなくてはならない。
気軽にアクセスができ、更にはクオリティも抜群の、ネット上に溢れる優れた作品ですら5秒とみてもらうことが難しい時代に、まさに時代に逆行するかのような、面倒なアナログな作品発表形態。こんなものに誰が目を向けてくれるというのだろうか。
ファインアートもネットで発表する時代なのかもしれない。
だが、それでも画廊での作品発表にこだわりたい。
ライブ感。臨場感。にこだわりたいのである。
絵画は、言葉もなく、動きもない、不自由な作品である。
だが、やはり生で観るのは写真やネットで見るのとは圧倒的に違うのである。
色、大きさ、画肌。生でみれば写真では読み取れない深い情報が盛り込まれている。
それを感じてほしいのである。
さらに、足を運ぶ工程も楽しんでほしいのである。
世界中の誰もが知るモナリザでありながら、ルーブルまで見に行くのは、きっとその行程も楽しんでいるのである。観る人にとって行程も鑑賞に含まれているのである。それを含めての美術鑑賞。ライブ。なのである。
世界的絵画を例に僭越ではあるが、そういう作品を目指したいと思っている。
今後、自分もネットで作品を出すことがあるかもしれない。
だがやっぱりライブ。である。
美術作品の持つ、臨場感。を守っていきたいのである。□