制作日記 「終活前の終活」

 

死が少しずつ身近になってきているのを感じる中、

最近「どうしたら心置きなく死ねるか」を考える。

 

たとえば、突然明日死ぬというようなことがあったら、

それは無念である。

確実に地縛霊になってこの世にしがみつくと思う。

たとえば日々続けている絵画制作でいえば、未だ自分の代わりとなる作品はできていない。自分がこの世に生まれてきた理由や目的が、自他共に満足のいくような形にできていない。これでは心置きなく死ねない。

死ぬなら、素晴らしい形ができた。もう死んでいい。という気持ちになって死にたい。

 

残された人にとっても迷惑であろう。

アトリエにある作品は第三者からみたらほとんど「ごみ」だ。書斎にある本だって、自分にとってはどれもかけがえのない宝物だけど、第三者から見たら全部「ごみ」だ。

判断のできない第三者に「これだけは残してください。これはあの人に渡してください。これは寄贈してください」というところまで作業を分解して、自分の痕跡を生きた証を残せるようにしたい。こちらもしっかりしておかなくては心置きなく死ぬことはできないだろう。

 

ここまで書いて気づいたが、こういうのが「終活」というものだろう。

だが、今考えているのは「終活」というところまで死を身近に思っているのではなく、もう少し仕事ができる時間がある前提で「終活」に入るために今なにをすべきか、を考えているという感じだ。

 

今の自分の仕事は、とても荒くて、雑だ。

まずそれがとても嫌だ。

誇りをもって1枚1枚の絵画を丁寧に作る。

誇りをもって1日1日を丁寧にブログに残す。

誇りをもって丁寧に自分の読みたい漫画を作る。

そういうことの積み重ねが美しくできていない。

それらができてようやく、心置きなく死ねる準備ができたことになる。

 

コロナや日々の忙しさのせいにするには卑怯だ。

今、もう一度、自分の生き方を棚卸しして、いつ死んでもいい生き方に起動補正をしたい。否、しなくてはならない。□