AIの時代にどう立ち向かうか。
2016年11月 AIがレンブラントの新作を描いたという記事を書いた。
2020年3月 AIが手塚治虫の新作マンガを描いたという記事を書いた。
そして、
2023年4月現在 「AIにアートを描かせる」というスキルを競う時代が来ている。
少し前には、人間がコンピュータのチェスに敗れたと騒いでいたと思っていたのだが、あっという間に、コンピュータは絵を描き、漫画を描き、小説を書き、音楽を作曲するような人類に迫る勢いを見せている。
直感的に「恐怖」や「不安」を感じる。
「2001年宇宙の旅」に登場するHALや、「ターミネーター」の暴走した人工知能・スカイネットが支配する未来が、いよいよ現実になってきたのでは、と怯える。
社会を安全にするため、人々を便利にするため、と次々と技術を重ね、結果としてかつての住み心地の良かった世界を、せわしなく、息苦しく、生きづらいものに作り替えてしまっているように感じる。
「男はつらいよ」に登場する「とらや」の裏の工場で働く「労働者諸君」たちに、「今日も元気に働いているか!」と寅さんが冷やかしに行く姿や、彼らが夕方の1杯のビールを生きがいにせっせと働いていたような、いろいろ足りないものはあったけれど生きがいのあった、充実した時代は、もう二度と戻ってこない。
良くも、悪くも、時代は前に進んでいる。急速に。
3~4年後に、自分はどんなことを書いているのだろうか。
少なくとも今は「すべてが杞憂だった。AIがあって幸せだった。ありがとう」にはおそらくなっていないと予想している。
個人的には、この強欲な世界にうんざりしているし、もうたくさんだと思っている。
AIの時代にどう立ち向かうか。
......については、立ち向かわなくていい。と思っている。
立ち向かう必要なんてない。
そもそも、人間と機械を争わせることに意味なんてない。
オリンピックの100mレースで、人間がオートバイと競い、
人間が負けたからって、どうだというのだ。
そんなもの、誰も観ない。
人間より早く走るために作られた機械なんだから。
そんなことは誰もが見向きもしないというのに、
チェスだの将棋だの、そして絵画だの音楽だの。といったことになると
人間と機械を同じリングにのせて争わせている。なんだというのだ。
機械は機械同士、人間は人間同士で競い合うべきで、
そんなねじれた異種格闘技には価値もない。
人間は人間としての誇りや尊厳のために、走り、描き、作るのである。
ここ最近の一連のAIのトレンドや騒ぎは、背景や技術の深いところに知見や興味を持たない人をあおって、おもしろがらせて、騒がせるために、マスメディアが仕組んだ単なるマインドコントロールなのではないか。
この時代の人類は、そういうものに迂闊に振り回されないようにする目力と強い意思とを持つことが大切なのではないか。□