糸井重里氏とお酒を飲みたい。
友人として、プチ哲学をあーだこーだ語りながら。
それが長い間の夢だけど、たぶん叶うことはないだろう。
宮本茂氏と肩を並べてお話ができちゃう糸井重里氏と、友人として、対等にお話をするためには、自分にも宮本茂氏に並ぶくらいの圧倒的に優れた仕事ができる存在でないと、肩が並ばない。そんな人間に、自分がこれからなれるとは思えない。
各界の最も活躍する上澄みの方々と会うだけでも時間が無い人にとって、
ある業界の下の方にいる人間と話す時間など、取れようはずがない。
上澄みの人々の中からも選別して、会う人を決めているような状況でしょう。
自分が1000回くらい生まれ変わって、上澄みの中に入り、抽選に当選するくらいのことがない限り、ありえないと思う。
松尾スズキ氏と糸井重里氏との対談で、「憧れで会ってはいけない」という話があったが、どうやらこの人生では、自分がその憧れを超えるような人間になる時間は、なさそうだ。
絵画の価値で自分を推すのならば、横尾忠則と同じにならなくてはいけないということでしょう。無理でしょ、それ。
仮に何らかの機会で会うことができたとしても、「尊敬していました」とがちがちになって、とてもお酒を飲むなんて状況はありえないと思う。
まあそんな叶いもしない宝くじみたいな話を書いてしまったが、まだしがみつくとすると、もう一つ手があって「ただ気が合うから」という奇跡的な偶然で、肩を並べられることもある。
結局人間は、近くにいる人間という偶然で、本人がどれだけすごいとかどうとか全然関係なく、付き合いが決まってしまったりする。
サカナクションの山口一郎が、「加藤さんと山口くん」で、地元の高校時代の仲間とほんとうに普通の友達として話しているのを聞いてそう思ったね。そこにはサカナクションとして大活躍している彼に並ぶような、大活躍をした仲間というよりも、「気の合った友達」として話している姿があった。
そういう存在になって、肩を並べるということはありえなくはない。
大谷翔平選手にも、どうでもいい話を、気を遣わずに話せる普通の友人がいると思う。
結局、人間です。改めて、そういう上下のない、気の合う人とのつながりの方が、愛おしいものなのかもしれないと思うのである。
とここまで書いて。........あー、何書きたかったんだ、俺。□