★爆発的アプローチ

 

芸術は爆発だ

 

かつて岡本太郎が、こちらをぎょろりと睨み、吠えていた姿が、今も記憶に焼き付いている。それを見た当時、芸術家という人は頭のおかしな人、怖い人だとか思っていた。

 

が、気づけば自分も、そこそこ長く芸術の世界に片足を突っ込んで生きていて、ある時、ふと「芸術は爆発だ」という思考に能動的にたどり着いたのである。

岡本太郎は、おかしな人ではなかった(当たり前だ)。

(実は、岡本太郎も、僕も、おかしな人なのかもしれないが....)

 

一般的に芸術的作品を創造するには、2つのアプローチがあるとされる。

帰納的アプローチ」と「演繹的アプローチ」だ。

要するに、

階段を1段ずつ上りながら完成形を目指すか、

全体を俯瞰しながら階段を1段ずつ下り完成形を目指すか。というイメージか。

 

だが、幾多の優れた芸術作品を眺めていると、作品を傑作にしうる3つ目のアプローチがあるように思う。自分は、それを「爆発的アプローチ」というものだと考えている。

 

階段を1段ずつ上る、下る、をしていても、ゴールにはたどり着けない、例えば数十段にわたり階段が欠落している。そんな事態が起こる。

(それは芸術作品の制作過程に限らず、冒険の途中、例えば大海原の真ん中ですべての食料が尽きたという事故にあうといったことにもあてはまる。すなわち、芸術も冒険なのだ。)

 

優れているといわれる全ての作品は、後から振り返っても作家自身もやすやすと再現できないような爆発的な力で、その欠落を飛び越えているように思うのである。

 

多くの芸術家が生涯をかけて取り組んでいることは、個々人がもつ、その大きな欠落(障壁)をどのように飛び越えるかという手法の探索に尽きると思う。

その大きく欠落した穴を、どのように飛び越えるかを、多くの芸術家が悩み、生涯をかけて修行を重ねている。

長く制作を続ける中で、時折、飛び越えられた!?と思うこともある。が、改めて同じ手法でやっても、二度とその体感が再現できない。芸術家は、毎日、その奇跡の精度を上げるための素振りをしているとも、言えるかもしれない。

 

映画「オデッセイ」のラストシーンで、火星に取り残された優秀な研究員が地球に帰還するため宇宙に飛び出し、そのタイミングを見計らって地球から上げられたロケットと宇宙空間で合流するというシーンがある。

1つでも計算がずれたり、不測の事態が起きたら、彼は宇宙空間に放逐され、二度と地上に戻ってくることはできないという緊張のシーンだ。

世界でも屈指の優秀なスタッフたちが総力をかけて彼を救いだす計画をするが、そこは映画、不測の事態も起こる。

文字通り、手に汗握るラストシーンで、奇跡の中の奇跡も起こり、何とか彼は宇宙空間の1点でロケットから出された蜘蛛の糸に手を伸ばし、帰還することに成功するのである。

映画だから、という見方もあるが、優れた芸術作品は(芸術作品に限らずすべての優れた成果は)、この不測の事態や、奇跡の中の奇跡を「爆発的アプローチ」で飛び越えた先にあるのだと信じる。

 

芸術家とは、「爆発的アプローチ」を能動的に引き起こす手法を一生をかけて研究している人間なのだと改めて思う。

 

まさに「芸術は爆発」なのである。□