育児の教育番組を見ていて、
パパが、
「他のどんなパパよりも育児を頑張っています!」
と自信満々で語る裏で、
ママはそれをどう感じていますか?とマイクを向けると
「それほどでもない」と、ばっさりと切り捨てていた。
「例えば、洗い物はしてくれるが、
前に洗った物の上に、今洗った物を重ねていくから、
前洗ったものがまたぬれてしまう」等とこぼしている。
これを耳にしたとき、グサリと刺さった。
全く同じことが自分にも起こっていたからである。
このエピソードで、とても重要なポイントは、
自分が「俺はすごくやっている」と、思い込んでいることを、
相手は「やってくれていない」と受け止めているということだ。
「やっている」どころか「やっていない」のである。
この180度の感覚の違いに注意しなくてはならない。
世の中は、思い込みであふれている。
そんなとき「俺はやっているじゃねえか」と反発しても無駄である。
受け手はすべて「お客様」である。
お客様が「やってない」というなら「やっていない」のである。
ハラスメントと同じだ。受け手がそう受け取ってしまったら、
やっていないことも、やっていることになる。
やっていることも、やっていないことになる。
それでも自分の主観を押し付けたら、ただ「迷惑なやつ」になってしまう。
思い込みを、思い込んだままでいられるのは、
「世の中のやさしさ」があるからだ。
身近な知人・友人も、その思い込みを、思い込みだと指摘せずに、
流してくれたり、許してくれたりしているだけだ。
あるいは、思い込みだと指摘されても全く耳にしない奴に対して、
仕方がないと諦め、譲歩しながらつきあってくれているだけだ。
「週末に魚を釣って、俺が全部おろしている。家族が喜んでいる」と
胸を張って言っている人がいたとして、家族は本当に喜んでいるのだろうか。
受け手は、
「おろした後はやっといて!と、キッチンを散らかしておしまい。かえって迷惑」
「他にやってほしいことがあるのに全くやってはくれない」
「魚なんておろさなくてもいいから、
他の普通の家事を、もっとしっかりやってほしい」
などと思っているのではないか。
そういう思い込みを、思い込みのままで押し切って、
人生を逃げ切ろうとしている人間を見ると、
ただ、よかったね。と思うが、
その裏では、
周りの人々が彼の引き起こす多大な迷惑の後片付けをしている。
そして本人はそういう人たちへの感謝をすることなど全く気にもせず、
自分はやっているから感謝するのはお前たちだ。で押し切ろうとしている。
もはや、「嫌われ者」である。
今、ほとんどすべての思い込みがはがれた自分の状態を受け、
自分は再出発を考えている。
ほんとうは思い込みを、思い込みのままで逃げ切りたかったが、
それだけの面の皮の厚さは自分にはなかった。
ならば、ゼロになることを受け入れ、ここから改めて進んでいくしかない。
どう進んでいいかはこれから考える。今ゼロメートル地点。□