ここ最近は、毎隔週の週末に、
2週間分の離乳食を作っている。
午前にスーパーへ食材を買い出しに行き、午後から調理開始する。
調理するだけではなく、合間に大人向けの昼食・夕食の準備、子供の散歩、洗濯、風呂掃除、洗い物等といった家事を片付けていく必要がある。
冷凍のタッパーで凍らせた離乳食を取り出し袋に移し、新たに作った離乳食をタッパーに入れて凍らせる。
洗い物がキッチンを覆い尽くす。さらに調理中に出た生ごみでキッチンが詰まっている。それらを片付けるだけでも途方もない時間がかかる。
時計を見たら、0:00を回っていた。
「あー、今日1日、俺の時間はほんとうにゼロだったな」
小さなため息が漏れる。
少し前ならば、小さなため息どころか、息抜きもできないこの事態にがっくりと落ち込んだりもしていたが、最近はまあしょうがねえや、と受け入れる堅牢な基盤が自分の中にできてきており、そこは、決定的な修行の成果だと自信を持って言える。自覚できるほどに急角度での修業が続いている。
自分の時間がないという現実(=いいかえれば一つの絶望)を自分の中に受け入れるのに1年かかった。
その日の全ての仕事を終えた後、小さく残された時間に、やりたいことを詰め込むということが出来ると思っていたが、その時間には、もはや体力が残されていない。
テレビをつけても、本を読んでも、ゲームをしても、5分と持たず舟をこぐ。
この1年の修行で手に入れた考え方の1つは、
「息抜きができればいい」ということだ。
映画が観たいとか、ゲームをしたいといった、コンテンツをこなしたいという気持ちは、突き詰めていくと、ただ「息抜きをしたい」ということだった。すなわち、別にコンテンツをこなさなくても、息抜きはできるということだ。そこに気づいてからは、だいぶ落ち着いたと思う。
もう1つは、
「育児が現在の筆頭のものづくりである」ということだ。
多くの人が経験することではあるが、個々の育児にはすべてのものづくりを押しのけるほどの大きなプロジェクトX的な想像を絶する挑戦がある。もうこの1つが出来ただけで他には手を出さなくてもいいではないか、という気持ちになっている。もちろん、絵は描くけどね。
子供が成長するとともに、親も成長しているのだ。と思う。□