ほぼ日の學校 老いと死1 養老孟司 VS 糸井重里

 

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1

勉強中というか「修行中」かな。
解剖学に取り組むことって、
一種の修行だと思うんですよ。
つまり、解剖の際は、
感情を適度にコントロールしないといけないし、
不要な好奇心は抑えないといけない。
相手にしているのは、
亡くなっていても人間ですから、普通は
「どういう人だったんだろう」
というような興味が出てきます。
でも、その興味をあまり
深堀りしないようにするんです。

 

やむを得ない事情で、
知り合いのご遺体を解剖したこともありましたが、
「二人称」だと、どうしても落ち着かなかったです。
言ってしまえば、知り合いという感覚が、
解剖学の場面においては
邪魔になってしまうんですよ。

 

2

1990年から2020年までの30年間で、
世界中で昆虫の8、9割が消えてしまったと
言われていますから、重大な変化です。

 

日本の食料自給率は、
2000年度以降ほぼ40%で低迷していますね。
ということは、日本に暮らす私たちの体の
60%は外国のものでできているんですよ。
物質的なことだけで考えれば、
60%は外国人だとも言えるかもしれません。

 

3

共同体をつくり出しにくい社会に
なってしまいましたね。
その原因の一つは、
「自分がどういう生活をしてきたのか」について、
日本人があまり考えてこなかったことだと思います。
だから、それまでは自給自足して生活していたのに
「必要なものがあったら、
外国から安い値段で買ってくればいい」
と考えるようになって、急速に生活を変えていき、
自給自足できる集団を壊してしまったんです。

 

昔はお金をかけるのではなく
自分たちでやっていたことを、
お金でできることに変換してしまったんですね。

 

養老さんは、人体のしくみを語るように
歴史を語りますね。

 

4

GDPが下がっている日本は
褒められてもいいくらいだと思うんです。
日本の実質賃金が上がらないのは、
GDPを上げるための自然破壊を
してこなかったぶんのマイナスを、
国民全員が背負っているからだと解釈できます。
つまり、GDPが下がっている間の日本は
「全員が損してもいいから、
これ以上無理をして発展しなくていい」
という選択をしたのではないかと。

 

5

虫の死骸って、標本にした瞬間から
「人の世界」に入るんですよ。
ただの虫の死骸だったら、
世界中にいくらでもありますが、
標本にして人と関わることによって
「作品」のようになる。

 

諸行無常でいいと思うんですよ。
形あるものは必ず滅びる、ということで。

 

生物を情報として見ると、
時間とともに少しずつ変化していくんですが、
生物を1個の物語として見ると、
いつの間にか、
シーラカンスがヒトになっちゃうわけです。
伝言ゲームみたいなものでね。

 

6

 

映画や文学についても、
普通だったらしつこいだろうな、
と思うくらいまでは考えます。
一方で、特定のテーマについては、
どこかで打ち切るということも決めています。
さっき言った「自分」というもの、
それから「生死」の話。
これらは、考えてもしょうがないです。

 

 

【考察】

★ことばの中に深く根差した考察の結果や根拠が感じられる。

 投げかけられた質問に「なんとなくそんなかんじ」というような丸めた返事が一つもない。長く生きた分、そこは考え尽くしてます。というような隙のない対話がある。そこが、世の中が「識者」という存在として彼を認める力なのだろう。

 

★メカニズムの説明が面白い。
 虫が減る→虫を食べる鳥が減る→山が乏しくなる→植物が実らなくなる→クマやシカが山から下りてくる(生態系が壊れていく) 
この問題を解消する手段は「犬を放し飼いにすること」(ブータンはできている)?
なんで犬なのかは飛んでいたが、ここにも必ず考察の結果がある。

 

★映画や文学はしつこいほど考えるけど、
 死など考えてもしょうがないことは徹底して考えない。
 考えるべきことと、考えなくてもいいことの、デジタル的な切り分けの潔さ。
 我々もそれくらいメリハリをつけ生きるのがいいのかもしれない。□