外見や言動は全く普通なのに、
ちょっと踏み込んでみると、
「あれが嫌い!これも嫌い!!生理的に無理!!!」
などと、極端に偏った嗜好をもつ人間が、意外に多い。
以前、職場の宴会を企画して中華料理店を予約したとき、
「ごめん、俺、中華料理食べられないから欠席」
と、ある部長に言われたことがある。
あるいは、今まで何度も一緒に酒を飲んできた先輩と、
その日も一緒に酒を飲んでいたのだが、
コース料理で焼き魚が出てきたとき、
「俺、焼き魚が食べられない」と言われたこともある。
これまで焼き魚が出てくることが全くなかったのだろうか、と
振り返るが記憶にない。たぶんなかったのだろう。
まるでミステリのどんでん返しのように驚愕した記憶がある。
その他「生魚は一切駄目」とか「粉ものしか食べられない」とか、
耳を疑うような事例も多々ある。
食べるものだけではない。
音楽や映像、芸術関係の表現にも、そんな偏食家は多い。
「ヒップホップは生理的に受け付けない」
「ホロコーストの映画は観た後、長くひきずってしまうから見られない」
誰も彼も、なんとスキキライの多いことか......。
まぁ自分にも、多少の好き嫌いはもちろんあるとは思うけど、
彼らの「絶対に無理」とか「大嫌い」というほど極端なものはないと思っている。
自分の場合は、
基本的には、まず概ね「全て肯定」である。
その上で、「好き」か「ふつう(どちらでもない)」のどちらかである。
「嫌い」というものはあまりない。
彼らは「嫌い」から入る。
個人の嗜好だから、自由ではあるけど、個人的には、まずは好きか嫌いか、ではなくて良いか悪いか。いったん、肯定しようよ。たいていは良いものだよ。と伝えたい。
「嫌い」という声は、聞く側の体力も削ってくる。
例えば、ジブリ映画ファンの自分にとって「ジブリ大嫌い」と言われたら、あぁこの人にはジブリのネタはご法度なのか。と思うと同時に、自分を否定されたようなダメージも受ける。興味がないなら観なくてもいいけど、近くにファンがいるかもしれない公の場でそこまで嫌いを主張することもなかろうに。
改めて、好き嫌いは個人の自由ではあるけど、嫌いであっても、良いということは認めてもよいのではないか。□