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そっか、私、もう介護されてるんだ(笑)。
3
「私、あるとき、
お尻がものすごく痛くなっちゃって、
もうどうしようかと思って。
なにしろ年をとるのはじめてだから」
私くらいの年になると
「えっ、はじめて!」みたいなことって、
どんどんなくなっていくと思っていたところ、
瀬川さんのそのことばを聞いて、
「まだまだ山のようにあるじゃないか!」と。
だから、息絶えてから
「いやぁ、はじめて死んだんだけどさ」
っていう話ができたとしたら、
そんなおもしろいことはないんだろうなぁ。
そういうふうに考えると、
耳が聞こえなくなるとか、ものを忘れるとか、
それこそ誤嚥性肺炎を起こすとかも、
年をとらなきゃ経験できない
「鮮度」のあることだって思ったら、
けっこうまだまだ私なんて、
小学1年生くらいな感じなのかもしれない。
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(伊集院静氏のエピソード)
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大塚先生は、
病院中がすき焼きの匂いになってもいいと。
「食べたい意欲があることを重視しましょう」って。
何が嫌なのか、何を怖がってるのか。
病院のどのへんが居心地悪いのか。
リハビリをするときはどんな気持ちなのか。
そのほんとうのところって、
自分が高齢者になってみないと
やっぱりわからないことだらけなんですよね。
6
ゴルフについて私が感じるのは、
たまにいいショットが出るんです。
「私にはあれが打てたんだから、
もう一度できるはずだ」って思えるんです。
それは向上心があるというより、
「もう一度あの快感を!」って感じに近い。
植物でも犬でも猫でも、
そんなつもりがなくても
みんな生きようとしてるんですよね。
それを「向上心」というのか、
「気持ちのいいことをしたい」なのか、
いろんな名前はあるかもしれないけれど、
ぼくはその根本にあるのって、
「生きたい」じゃないかなって思うんです。
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なんで母のときは冷静でいられたかを考えると、
やっぱり長い時間をかけて、
ずっと見送ることができたっていうのが
大きいのかなってそのとき思ったんです。
9
どこかのところで、
その人たちのおかげだと思ってます。
だから、ほんとうは生きてるときに、
そのお礼ができればいいんだけど、
それはやっぱり返しきれないんですよ。
だから、そういう人がみんなぼくの葬式に集まって、
「あぁ、よかったなぁ」って
思ってるところをイメージすると、
いまの自分の生き方にも影響するんです。
「遺言はいまから自分で実行しろ」
ってことをひらめいたんです。
これ、自分では発明だと思っていて。
よみうりランド慶友病院の大塚宣夫先生も
同じようなことをおっしゃってました。
「孫や子どものためにお金を
残さなければいけないっていう考え方を、
まずは捨てなさい」と。
お金を残すよりも、
自分に介護が必要になったら孫を呼んで、
どんどんおこづかいを渡せばいい。
自分の車いすを押してもらうときに、
いちいちおこづかいを払って投資しろ、と。
財産を分けるときのもめごとを考えたら、
生きてるうちにどんどん使ったほうがいいって。
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ぼくは大昔から
「通夜のにぎやかな人間になりたい」
というのが人生の目標ですから。
もしノーベル賞をもらったとしても、
みんながノーベル賞の話をしてる葬式なんて、
ぼくはうれしくないです。
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自分の葬式をパーティにする。
【学んだこと】
・年を取り変わっていく「ネガ」を「はじめて」と捉え直すという斬新な目。
・自分の葬式をどうしたいか。
そこまで深く考えていたか、ということが収穫。
・自分の葬式をパーティにする。というポジ。
・生きているうちに遺言を実行するというアイデアも斬新。
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