制作日記 樹の会展25(4)

 

画面の上で、いいもんが偶然でてくるのをまっているような描き方をしている。

 

いいもん。というのは、

自分が想定している設計図からはずれた形や色である。

えっ、自分の中から、こんなものがでてきた?!

.......おもしろいじゃん!というやつだ。

 

自分が想定している絵に、もう自分は飽きている。

描き始める前に頭の中にあった「こういうかんじ」が

「やっぱりそのとおりになった」ということに耐えられない。退屈で。

 

毎日歩く同じ道でありながら「あれ、なんか違くないか!?」という前日には無かった変化や発見。そういうものがないと、もうやる意味がない。

 

だけどそれって、決まったやり方ででてくるものじゃないから、いつでてくるかも、出てこないかもわからない。だから、計画どおりにいかないし、出てくるまで長期化することもある。

それは、やけくそにコントローラたたいていたら、出てきた隠れキャラみたいなもので、あれ、どうやって出したの!?と自分でも目を点にしている。

それを実力と呼んでいいのか。

とても、呼べないと思ってる。

だけど、それしか自分を楽しいと思わせられないから、そんなギャンブルみたいな描き方をしている。そうだ、自分の絵はギャンブルなんだ。勝つか負けるかもわからない。だけど何か出てくるかもしれないから、やめるにやめられない。まさに、ギャンブルに没頭する人の気持ちとほとんど同じなのではないか。

そうだ、自分はギャンブラーだったのだ。

 

そういう描きかたをやめたいとも思う。

でもやめられない。もう依存症になってる。そこもまたギャンブラーだ。

 

そういうのは自分だけかと思ったら、I先生もかつて同じようなことを言っていた。

画面の中で、ちがうちがうとモチーフをこねくりまわして、右へ左へと動かして、自分の理屈を超えた形がみえてくるまで釣り糸を垂れるように絵具をのせ続けてる。この4号1枚に数カ月かかった。みたいなことを言っていた。

うへえ、あれだけ偉い先生ですら、自分とおなじような鈍くさいことをしているってことは、この「捏造している」ような気持ちは、今後ずっと消えないのかと、安堵もしたけど、それ以上に失望もしたのである。□