かつて歴史の教科書で「産業革命」を学習した時、
それは完全に他人事だった。
産業革命前はこつこつと手作業で作っていたモノが、機械の導入によって自動化され、手作業でモノをつくるというスキルが、無価値になってしまった。
それまで手作業で仕事をしていた人々は、何か別のスキルを勉強したり、新しい仕事を探さなくてはならなくなったという。
ふーん、そうだったんだ。大変だったんだな。
当時それくらいには思ったろう。
だけどやっぱりそれは過去のことだし、他人事でしかなかった。
だけど今、生成AIが現れたこの時代は、
まさに「21世紀の産業革命」と言える。
他人事だった過去の産業革命が、
現代に生成AIという形で再現し、
初めて当時の人々の気持ちにシンクロしたように思う。
これまでは、人間の価値の多くは、頭の中に蓄えられた知識や経験、または絵画やら音楽という芸術表現のセンスにあった。
だけど、それらの大半が生成AIが瞬時に代行できる。となったとき、人間の価値が大きく削り取られた状態になった。
例えば、プログラミングスキルを例にすると、これまではプログラミングの文法を勉強して知識を身に着け、何か商品に向けた開発要件を受け、設計、実装、テストして、リリースする。なんていう流れがあったが、今やこれらの一連の流れが「こんな感じで作って」と、生成AIに指示するだけで5分程度で概ねのものが出来てしまう。
これまでのように文法を学習し一カ月かけて設計・実装なんてしていたら、
「いつまでやってる。他社は1カ月前にとっくに発売してるぞ」とわれる時代になってしまった。
例えば、1年かけて開発した技術を報告書にまとめる作業だって、20分程度で文書化されてしまう。ひいては「1年かけて開発した」という部分すら、「20分で開発できる」に変ってしまう。
例えば、かつてはスキルを習得するために開催されていた研修が、少し前には世界に点在する優秀な人たちによりYoutubeで発信され、研修の講師は世界中のYoutuberに置き換わっていたが、今やそんな彼らすら飛び越えて「生成AIに聞こう」で済んでしまう。学校にいた講師も、Youtuberも、無職に追い込まれていく。
「人類は、これからなにを生業にして生きていくべきか」
それを問われる時代になってきてしまった。
「自分は芸術分野にいるから」
「自分はスキルや経験を持っているから」
生成AIが登場した直後は、その変化の様を、まるで、観客席からゆったりとプロレスを観戦するかのように悠々と眺めていたが、今や観客席そのものが突然リングに変わってしまい、全員がバトルロイヤルに巻き込まれるような事態になっている。
イギリスで起こった産業革命を直撃した過去の人々から、
「ざまあみろ。お前らも俺たちと同じような体験をしてみやがれ」
と言われているような気持で、これからの時代をどうやって生き抜いていくか、考えている。□