イラストレーションを描くことを趣味にしている職場の後輩が、
本格的に学ぶために通信制の大学に入学したという。
その話を聞いた時、
20年くらい前に京都のパレットクラブに通っていた自分とシンクロして、脳震盪が起きた。
あのころの自分は、なんとかして「なにものか」になりたかった。なり急いでいた。
イラストレーターになって、絵を描いて生きていきたいと、その夢にしがみつくようにして、毎週出されるイラストレーションの課題を作って、京都の五条にある教室に通っていた。
課題を1つ1つこなしていくことで、自分はきっとイラストレーターになれる!そう信じていた。あのときの、燃え上がるような熱い気持ちを今、後輩が抱いて大学に通っている。
うらやましい。と思った。
これからの数年間、彼は授業や課題をこなしながら、「なにかになれる」という夢、可能性にわくわくしながら、上へ上へと突き進んでいくのだろう。
「可能性」という未来がまだ真っ白にあって、どうなるかもわからない自分の未来をこれから見ていけるということのまぶしさ。
でも、ふと思ったのだ。
なんで、自分はそれがもうできない。やらない。と思い込んでいるのだろうか。
パレットスクールでの時間は確かにもう終わってしまったが、また戦いなおしたらいい。なんで、終わったことにしているのか。
久しく更新できていないPixivのもやまんを2年ぶりに眺めてみた。
あぁ、自分なりにやっていたんだな。と、今見て思うのだ。
パレットスクールでイラストレーションを学びはじめたあのころ。
その後アトリエに移り、油絵を描き始めた入ったあのころ。
Pixivで漫画を描きはじめたたあのころ。
その後に続く、今。
イラストレーションでも、漫画でも、そしてやっぱり絵画でも。
なんでも、改めてわくわくするように、やりなおしたらいい。それだけのことだ。
ちょっとカビが生えかけていた自分の脳が、春に戻ろうとしている。
青春は、これからです。□