好きな絵ではない。
そもそも、どう見てよいのかわからない。
東京都美術館で開催中のジョアン・ミロ展には、全く期待をしていなかった。
会場の様子を1時間程度眺めてすぐ帰るくらいのつもりだった。
ミロの作品はこれまでにも断片的には目にしていたが、
「わからない」の一言で先送りをしてきた。
だが、このたびの大規模な回顧展で作品を会場で観たとき、
直ぐに絵の中に引き寄せられていく不思議な体感があった。
これまで幾多の絵画や美術作品を観てきた自負はあったが、
ミロの作品にはそれらのどの作品とも「全く」接点がない。
観たことがない。まさに「唯一無二」なのであった。
かつての自分はその、どこにも接点がなく、自分にとっても全く未知の
世界観を受け入れられず、無意識に距離をとろうとしていたのかもしれない。
だが、いまはむしろ、
そんな新しい体験がまだ自分にも残されていたのかという驚きがやってきて、
これまでずっと拒否をしてきた先入観を、
「観たい、知りたい」というワクワク感が、やすやすと打ち消した。
なんだこれは。
観るほどに脳が揺さぶられる。
イラストレーションのように書籍の表紙を飾る絵でもないし、
一家に一枚というような絵でもない。真似をしてみたいとも思わない。
だが、美術館という空間にその作品が入ると、圧倒的に映える。
美術館こそが、世界で最も最適なミロ作品の「棲み処」なのだと確信する。
改めてそんな絵は、他にはない。ミロの世界はいわば「純アート」である。
観終わるころには2時間半が経過していた。
先入観で嫌いや苦手と決めつけ、世界の優れたものを見逃してしまうことは、勿体ないことである。
そこには自らの美意識や教養の深さを広げるチャンスもあるはずなのだ。
色眼鏡をかけずに中庸な目で視野を広げていきたいものである。
なお、70年の大阪万博のためにミロが来日して制作した大作は、
今も大阪国立国際美術館の壁面から威風堂々と会場を見下ろしている。□