ものごころついたときから、
ジャニーズと年賀状は、既にそばにあった。
実際それは50年以上もの間、
日本人の庶民の生活のそばに、
普通にあって、なじんでいた。
だから、今日のようにITの時代が進んで
Internetに始まり、LINEやらSNSが台頭して、
年賀状が静かに姿を消していきそうな気配を見せた時、
または、
ジャニー北川氏が亡くなり
その後の氏やタレントの不祥事が次々と発覚して、
その栄光が、破滅的崩壊していく音の無い轟音を聞いた時、
言葉にならない、とまどいや喪失感のようなものに襲われた。
あまりにも長い間、身近にあるために、
未来永劫ずっとあると信じ込んでいるものでも、
永遠なんてないんだな、と、体で知った。
そんなことは、あたりまえのことなんだけど、
人ってのは「ずっと」とか「永遠」を無意識に信じたがる生き物のようだ。
歴史の教科書をみれば、そのようなことは、
もっとダイナミックに国レベルで
何度でも起こってきたことかもしれない。
年賀状の消滅やらジャニーズの崩壊は、
歴史の中で見たら、大きくもない出来事かもしれないが、
庶民の視線から見たら、より身近で生活感を伴ってきたためだろうか、心の深くにまでしみ込んでくる、強い喪失感をもたらすように思う。
ひとことでいえば、「寂しい」。ということだ。
今、自分は、寂しい。という気持ちをかみしめている。
追伸
この度のTOKIO解散を知った時、
新幹線の車内で流れている「AMBITIOUS JAPAN!」がふと気になった。
新幹線の中であの楽曲を聞くたびに、自分が今旅に出ているという喜びを、無意識に強く受け止めることができていた。あの楽曲は残してほしいと思っていた。
だけど調べてみたら既に、2年ほど前に20年の役割を終えて、新曲に変わっていたようだ。これはこれで、また寂しい。