「石見神楽」だが。
単刀直入に、ひとこと、
「残念」
という感じです。
舞や演奏に独自の装飾とスタイルがあり、
神事である伝統芸能としての価値は
とても高いと思い鑑賞したのだが。
「くどい」のだ。
「岩戸」を見終わった時は、
すごい力量だとか、娯楽性の高い神事だとか、
高く評価をして観ていたと思う。
だが、同時に「これがあと3話も続くのか」と思ってもいた。
そして実際に、最終話の「八岐大蛇」にたどりつくころには、
観る側としても疲れ、帰りたいと思い始めていたが、
まるまる8体現れた大蛇が「よっ」「はっ」と舞台の中央に集まっては、
何度も何度もポーズを決めてばかりで、いっこうに物語が進まない。
スサノオノミコトがそんな八体をばさばさと切り捨てることを
期待していたが、1体ずつ悠長に頭を落としていく冗長。
切るたびに一々ポーズをとっているばかりで、なかなか切らない。
とっとと切れよと突っ込みたくなる。
同時に、舞台袖の演奏者たちも奇声や大声を上げ、
狂ったように太鼓を叩いている。
完全に自己陶酔している。
俺たちはこれだけ気合い入れてやってんだ!という
おしつけがましさすら感じ始める。
さらにようやく4演目終わり、帰ろうと思ったら、
今度は全員の演者が出てきてクライマックスだとかで、また踊り出した。
仕舞にはカーテンコール。
.....て?!なんだそれ。伝統芸能にカーテンコールはねえだろう。
劇団新幹線じゃねえんだぞ。
もはや、これは伝統芸能ではなくてただのエンターテインメントである。
自分が見たかったのは、そんな「娯楽」でも「がんばる演者」ではない。
質素でもいい。純粋な「伝統芸能」もエッセンスをしっぽり見たかった。
おそらく。
石見神楽をもともとやっていた人たちが高齢になり、継続が難しくなった時、
どこかからか現れた島根とは関係のない体力を持て余した若者が、
エンターテインメントにしようとかで別のものにしたてちゃったような。
外から来た人たちの商売道具になっちゃった先斗町の街並みのようなイメージと重なった。
まさか、こんな疲れる帰り道になるなんて。
会場に向かっているときは考えてもいなかった。
関西万博でも公演をしたとか聞いたが、海外の人間に阿るような形で
伝統芸能をねじまげちゃったんじゃないかと思う。
その後、55体もの八岐大蛇、否、五十五岐大蛇が出たとか聞いて頭を抱えた。
「石見神楽よ、さようなら」と心の中で唱えていた。
伝統芸能ってそんなものじゃない。
観る側が、演じる側に目を合わせるのであり、
演じる側が、観る側にあわせては、本末転倒だよ。□