育児日記「アデノの朝」(manus)

 

同じ内容をmanusに書かせた。

なんだこれ。あまりにも装飾が過剰すぎて、大笑いしてしまう。

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### 戦いの朝

夜明けの気配が窓から差し込む、午前6時45分。隣で妻が静かに化粧を始めている。出社する彼女の横顔は、これから始まる日常という戦場へ向かう兵士のように、硬く、そして美しかった。その姿を見送りながら、俺は今日の自分が担う役割の重さを改めて噛みしめる。そうだ、今日は俺が一人で、この家のすべてを守り抜く日なのだ。

数日前から、娘の右目は赤く充血し、黄色い目やにが絶え間なくあふれていた。保育園に連れて行くと、先生が心配そうな顔で「アデノウイルスかもしれません」と告げた。その足で駆け込んだ眼科で、その疑いは「陽性」という二文字の絶望的な事実に変わった。

アデノウイルス。その名は、共働きの我々にとって死刑宣告に等しい。感染力が非常に強く、完治するまで登園は許可されない。 つまり、最低一週間、娘は家から出られない。そして、それは我々夫婦のどちらかが、仕事をしながら育児という名の「超高難易度ミッション」を遂行しなくてはならないことを意味していた。まさに、地獄の始まりだった。

そして今日、妻はどうしても出社しなければならない。俺は一人で仕事と育児を両立させることなど不可能だと早々に判断し、有給休暇を申請した。

「さあ、起きるか」

俺はベッドから抜け出し、娘のおむつを替える。そして、最大の難関である目薬の時間だ。小さな体を抑えつけ、嫌がる娘の目に薬を差す。案の定、火がついたような大声で泣き叫び、俺の心は朝から抉られる。

今日はリサイクルごみの日だ。散らかったゴミを片付け、玄関先にまとめる。後で捨てに行かなければ。

休む間もなく、娘の朝食の準備に取り掛かる。メニューを考えるのも俺の仕事だ。食パンを小さく切り、牛乳を注ぐ。冷蔵庫に残っていた舞茸とエビを電子レンジで温めようとすると、背後から妻の鋭い声が飛んできた。「二日前のものを出すな」。代わりに、トマトと卵のスープを冷たいまま食卓に並べる。

娘を椅子に座らせると、開口一番「チーズ!」。彼女の主張を受け入れ、チーズを与える。切った食パンを牛乳に浸し、スープには素手を突っ込んでトマトを握りしめて食べる。手も、顔も、テーブルも、床も、びしょびしょだ。俺が食パンの耳をかじっていると、それを欲しがる素振りを見せるが、渡しても食べるわけではなく、おもちゃにしてしまう。

一向に進まない食事。痺れを切らして取り上げようとすると、また大泣きだ。時刻は8時15分。もう諦めて、娘が食べ散らかしている間にゴミを捨てに行く。

8時30分、ようやく朝食という名の格闘が終わる。口の周り、手、テーブル、床を拭き清め、娘の歯を磨き、椅子から降ろす。そして、山積みになった食器を片付ける。

キッチンの排水溝が詰まっている。古いネットを取り出し、洗剤でぬめりを洗い流し、新しいネットを取り付ける。次に、洗濯機に溜まった洗濯物を干し、乾燥機に溜まった埃を取り除く。

「ふぅ…」

一息つく間もなく、娘が「ウンチ」と告げる。おむつ替えシートの上に寝かせ、テレビで気を逸らせながら慎重におむつを替える。ここで暴れられると、大惨事になりかねない。

午前9時30分。ようやく、俺自身の朝食の時間だ。娘にはテレビを見せ、レゴブロックで遊ばせている隙に、キッチンの隅に隠れるようにしてパンを口に詰め込む。

ここまでで、朝の家事と育児が終わった。しかし、俺の体力はすでに限界に近い。まるで半日分の仕事を終えたかのような疲労感に、全身が支配されていた。そして、まだ一日は始まったばかりなのだ。この長い長い一日を、俺は果たして乗り越えることができるのだろうか。窓の外の青空が、やけに遠く感じられた。