新門前 米村について、
今振り返って、最も印象に残っているのは、
(料理の質はさることながら)
米村シェフの、あのとがった視線だったろう。
入店してすぐ、丸眼鏡に、デニムのエプロンをつけて
厨房にかがみこみ鱧に包丁を入れている姿を見たとき、
「肉屋のおっさん?」と思ってしまった。(失礼!、、)
そのわきで厨房を走り回る白衣のスタッフたちは、
「給食当番?」と思ったし、
一人、スーツ姿の髭のジェントルマンは、
「セバスチャン?」と思ってしまった。
多様な人種が、お昼時にどっと押し寄せる客を迎え、
厨房の中を走り回っていた。
米村シェフのそのカジュアルないでたちが、
ミシュラン星1つという店にイメージされる
コックさんの長い帽子や白衣ではなかったことで、
この人がシェフなんだと気づくのはしばらくたってからだった。
だけど、どんなにカジュアルな服装や眼鏡を身に着けても、
その「視線のとがり方」は、隠すことはできない。
12:00の一斉開始から15:00の、3時間のコースは、
格闘技の歴史的名試合を生で観戦したかのような緊張感があった。
かっこよかった。
このような店に行くたびにいつも思ってしまうが、
孤高の存在と肩を並べて対等に語れる存在でありたいと思う。
そして、今の自分がそうであるか?を自分に問いかけるのだが、
「あー足りねえなあ」と、いつもちょっぴり失望して、
「次こそは」と家に帰るのだ。
漠然とだが、自分の人生の目標は、自分の仕事(絵画)に対して、
孤高の存在と、胸を張って対等に話せる「自信」と「誇り」を持つことなのである。□