いまさらなんだけど、
あだち充の「タッチ」を読み終えた。(以下敬称略)

人生において「これだけは読んでおけ。」という作品がある。
まあそれは、間接的に散々どこかで目にしたり耳にしたりしている作品なのだが、
そういう作品は、どういうわけか、手に取る機会を逸したまま、放置されていて、
長い時間を経て、
「よし、今こそ読もう!」という時が、突然やって来る。
作品のほうも、そういうときがくるまで、じっと、ずっと、
本棚の奥で、スポットライトが当たる瞬間を待っているのだと思う。
で、読んでみると、
「うわあぁ~!!いい!!すごくいいいいぞおお!!!
なんで今まで読まなかったんだあああっっ!!!!!!」
という気持ちになるのだ。
えーと、改めて、「タッチ」。
本当にどえらい作品である。
間違いなく日本の漫画史上に残る大傑作であると言っても過言ではない。
今となっては、野球の漫画は描き尽くされたという感じがあって、
あまり新作を目にすることはない印象があるが、
それはある意味、「タッチ」と「メジャー」が全部やっちゃったから。
なのかもしれない。
頭の中に、どかんと大きな感動が残っているのだけど、
それは今すぐに言葉にはできないくらい、大きすぎて、
少しずつ脳を解きほぐしながら「タッチがもたらした感動」について書いてみたいと思う。
天才。
あまりそのことばを使いたくはないが、そう思ってしまう。
あだち充のペンのタッチは「本番のらくがき」のような軽やかさを感じる。
そして、それに連動して、作品の表面を流れる空気も全体的に、楽しげで、暖かい。
ユーモアがあり、ゆとりがあり、ゆるさがあり、かるさがある。
棘のあるキャラクターですらも、その世界観にまるめられてやわらかく感じてしまうほど。
それが、読者にしっくりはまり、読みやすく、さくさくとページをめくる手が止まらない。
だけど、個々のキャラクターたちの心の、深い、深い、底には、それとは正反対に、
複雑な恋心や心情や葛藤や哲学のようなものが、大きな川となって流れている。
もしそれを直接表現しちゃったら、
表層を覆うあだち充ワールドはすべて壊れてしまうのだろう。
が、それを全て、もっともアプローチの遠い「本番のらくがき」から、
独自の表情や、
独自の間や、
独自のユーモアや、
独自の洗練された小さな言葉 を駆使して、間接的に迫り、全てを描き切っている。
表層をおおうゆるさと、底を流れる深い人間像。
「タッチ」はそのコントラストが絶妙であり、
そんなことができる人間は、多くの漫画家を見渡してみても、
まさに、あだち充が唯一無二といっていいのかもしれない。
それが、天才。なんてことばを使ってしまうゆえんだ。
まず、大きい幹として「甲子園出場」という、
骨太でわかりやすい物語がど真ん中にある。
それは「ドラゴンクエスト」で、
出発地点から、ゴールである竜王の城が見えているような、
誰にでもわかるシンプルさと多くの人を引きつける魅力と重なる。
そして中くらいの幹には、物語を右へ左へとゆさぶり、
読者の目を引き付けて離さない、個性的なキャラクターたちがいる。
達也と勝也と南。
ボクシング部・原田。
バッテリー・孝太郎。
ライバルであり親友・新田と西野。
ヤクザ監督。
そして物語のクライマックスには国民的アイドル・住友里子。
そして小さい枝や葉には、
各話ごとに、伏線であることにも気づけないほどのさりげない伏線がちりばめられ、
最後には、しっかりと回収される。
え、それ伏線だった?!という小さな驚きで週ごとのストーリーを閉じるのだ。
そこには「落語」を、感じる。
落語には「名人」というのがあるが、あだち充の作家性は「名人」ともいえる。
いうなれば、漫画界の古今亭志ん朝とでも表現できるだろうか。
そして足元に目を向ければ、上記の通り、ゆるく楽しげな表面には見えてこない、個々の深い深い人物像が鉱脈のように太く強く流れていて、太い幹を堅牢に支えている。
甲子園までの道のりでセッティングされた試合は、どれも目が離せなくなるような仕掛けがされている。
新田と西野という地区予選の強敵であり仲間との試合だけでなく、個人的なつながりも見せながら、予選決勝という物語のクライマックスにむけ、滝つぼに向かうように急流が速くなっていく。
予選決勝の死闘は、まるで球場にいるかのような臨場感。次のページで何が起きるか、目が離せず、心拍数も上がるほどだ。
そして甲子園へ。
終わりじゃないのか?と、残る100ページに「なかだるみ」を予感させるが、それも杞憂。達也と南の関係に決着をつけるためにこれら全てのページがあてられている。
野球の描写がほとんど描かれない甲子園。これもまた唯一無二だ。
とても甲子園に挑む選手とは思えない、かけ離れた行動をする達也の描写が続く。
予選決勝で燃え尽きたか、南との決着さえつけばよいかな。と、読者をミスリーディングさせた上で現れる、最後の一コマに震える。
まるでこれは「ローグワン」のラストに登場するレイア姫のような衝撃である。
これを天才と呼ぶことがないのであれば、世界から天才という言葉は永遠に使われることはないだろう。とおもうほどの完成された傑作である。
懐かしのアニメを紹介する特番で、タッチの楽曲が繰り返し流されているのは、当時この傑作をオンタイムで見ていた人の、今なお消えることのない熱い愛ゆえなのだろう。
ほんとうにすごい傑作であった。□