釣り糸を垂れる。(前篇)

 

アトリエメンバーの交流を図るための新聞を、年4回で発行している。

 

毎回のことなのだが、まったくやる気が起きない時間が長い。

本当に発行できるのだろうか。と、いつも〆切におびえたりすることもあるのだが、なんだかんだで最後にはできあがって、よかったよかった。みたいなスタイルがずっと続いている。

 

なんか、突然くるのだ。

それまでの自分に、なんで今までとっととやらかなったんだ?と、問い詰めたいくらい、不思議なやる気が、突然押し寄せてくる。

それまで悩んでいた時間が嘘のように、やる気があふれ出してきて、半日くらいでほとんどの作業が終わってしまうのだ。

その「来る瞬間」がわかったら、もうその他のやる気の出ない時間に悩むなんて無駄は一切しなくて済むのに。

これはいうなれば、「釣り糸を垂れる時間」のようなものだ。

魚を釣る人も、魚が釣れる瞬間とそれ以外の待っている時間があって、多分後者の方がずっと長いのだろう。でも、魚が取れる瞬間がいつなのかといった未来がわかるようになったとして、じゃあ、それ以外の魚が釣れるまで待つ時間というのが無駄だから、その時間は釣りにはいかない。となるのだろうか。

なんとなく、そういった無駄も含めての釣りなのだと思う。

無駄をしたいのだ。その瞬間の感動のために。

 

と、思うと、やっぱりやる気が全くでない時間に悩むことは、やった方がいいのだろうな。それがあっての新聞なんだ。と考えてみることにする。