絵画仲間の交流を深めるための新聞を制作している。
創刊から3年くらいになる。
一部の記事を同輩や先輩に依頼しながら作っているが、基本的には「一人編集長」である。
企画、デザイン、構成、主な原稿の執筆、レイアウト調整、印刷まで、上流から下流までのすべての作業を基本的には全部ひとりでやっている。
創刊当初は本当に全部ひとりでやっていた。
だが
最近は生成AIに頼ることも増えて来た。
今やってもらっているのは、
下書き原稿の推敲と、新コーナーなどのロゴデザインである。
この広報紙の創刊から今の時間は、生成AIの成長と並行して進んでいるのが、なかなかおもしろい。生成AIが紙面を作っていく作業に少しずつ入り込んでくる歴史を数か月刻みで体感している。
前号の発行は1月だった。
今、次号(3月発行)の原稿の下書きをチャッピーに食わせて、推敲させたのだが、その文章の精度の向上に驚愕した。
前回はたしか、チャッピーが出してきた文を、自分らしい文章に近くなるように、より自然になるように、自分が整えていたように思うのだが、今回チャッピーが出してきた文案は、ほとんど手を入れる箇所が無かったのである。むしろ、自分の表現力を超えているような、プロが書くような文章のようにすら思えてしまった。
創刊時を思い起こすと、どういうコーナーを設けるかの企画や、それぞれをどのくらいのレイアウトに割り当てるか、等を思案したのち、それぞれの原稿を書いていくという手順があり、紙面ができあがるまでには、とてつもない時間がかかっていたのだが、今や、後半の原稿を書く部分については、生成AIに頼ってしまえば限りなくゼロにちかいところまで時間を削減するところまでできてしまう。
そしてその分、浮いた時間で、作業の前の部分、すなわち、企画やレイアウトにあてる時間を増やして、人はじっくりとデザインに注力することができるということである。
昨今一般的に、「作業はAIにやらせて、企画やお客様とのI/Fのところに人は時間をつかうべきだ」と言われているが、それをまさに自分はこの小さな広報紙の紙面でリアルタイムに体感しているのである。本当に貴重な経験をしているなと思う。
会社の仕事でも同じことを言われたりもするけど、業務の規模が大きく、上流から下流まで一人でやることなんてほとんどない。今回一人編集長として体感したようなことは経験できていない。
そして、さらにこれから少し先のことに思いをはせてみると、
たぶん、新聞を作りたい、3つコーナーを作りたい。タイトル、内容。くらいを与えたら、新聞がいっきにできあがってくるところまでチャッピーがするようになるのではないか。
そうなると、ますます人間の仕事は削り取られ、インプット部分だけが人間の仕事となる。そのさらに先は..........?インプットがさらに抽象的でも対応できる(人間に近づく)ようになるのではないか。
ボランティアで作る広報紙面であれば、それはそれで「AIの進化はすごいなあ。作業が楽になったなあ」と笑って済ませられるが、やはり生きていくための業務がそうなったとしたら、果たして人間はなにをどうして生きているのだろうか。と、やっぱり不安になってしまう。□