ファンタジーの終演

 

大黒摩季が、親の介護をしている。

という話を聞いた時、

自分の中の「ファンタジー」が終演を迎えた。

 

大谷翔平選手も、Perfumeも。

華々しいステージの上で活躍している人間を、かつての自分は、歳も取らず、うんちもしない、病気もしない、生涯アイドル、死ぬまで前衛。というような神がかった圧倒的な存在、すなわち「ファンタジー」だと、ずっと、深く、思い込んでいた。

 

でも、彼ら彼女らも、実は、同じ人間なんだよな。(当たり前なんだけど)

 

それが例え、スーパースターだったとしても、彼らも、歳もとるし、うんちもするし、状況に応じては、介護もするし、育児もする。

無理をして、ファンタジーな姿を見せているだけなのである。

あるいは、こちらが勝手に彼らの活動をファンタジーと決めつけて見せてもらっているだけなのである。

 

世界には人類を超越したシン・スーパースターなんてものはいない。

みんな結局、ただの人間なんだ。ということを気づかされる瞬間が来る。

そして、それが自分にとっては「大黒摩季の介護」だったのだ。

 

FM802だっただろうか。

ラジオで大黒摩季がゲスト出演していて、介護を終えて?介護中に?新曲を出したみたいな話をしていて、「大黒摩季が介護なんてするのか!?」と、本気で驚いてしまったのだ。

それくらい、当時は大黒摩季という存在は神がかった存在であり、我々が生きるためにしている営みのことなんてする必要がない、当然、介護なんてしない、洗濯だってしないし、食事もしない。調理も必要が無い。現実とはかけ離れたところにいる存在なのだと、思い込みまくってしまっていた。

 

でも、そんなことはない。結局は、だれもかれも、みんな、人間なんだから。

 

そして、それがわかったときから、華やかな活躍をする人ほど、その人の裏にある努力や苦労を見たり、想像するようになった。

我々と同じ人間として生きるための営みに加えて、さらに、その超人的な活動をなしとげているという。

いったいどうやったらそんなことができるのだと、その片方ですらしっかりできていない自分への戒めや生きるためのヒントがあるのではないか、と思うのだ。

表現や作品といった、人間の仕事の美しさを求めている人間にとっては、どうしてもそこを突き止めたいのである。それが生きる目的であり、そこに、命を燃やしている。

 

美しいもの。良いもの。に出会ったときは、きっとその裏では、われわれの何十倍も努力、苦心して物を作っている人間がいるという事に思いをはせよ。といいうことだ。アニョハセヨ。オモイハセヨ。

 

自分の仕事が足りないのは、きっと、努力も苦労も足りなすぎるという事よ。

それを肝にめいじて、ふてくされるのはやめましょうという事よ。

あなた。全然努力足りてないから。という事よ。□