制作日記 「育児というモチーフについて」

 

育児の現場を描いた絵を見ることがほとんどないのは、
育児をしながら絵を描こうなんてことを考える馬鹿は
そうやすやすといないからだと、自分が育児をしてみて、
身をもって知った。

 

逆に、誰も描いていないということは、
育児の現場は絵画のテーマとしての新規性が潤沢にある、
と思い至り、今まさにイクメン真っ最中の、
この苦しみと、痛みと、わずかな楽しみが混在した
唯一無二の不可思議な空間・時間を、絵画作品として
アーカイブしておくのは意義深いのだと確信し制作を決意した。

 

働き方改革の中での業務と育児を両立させ、
時にはノイローゼをひきずりながら生きる男女の姿は、
現代の社会問題提起でもあり、
対し、未来の自分へのラブレターとしても素敵なのではないかと思い、
描く次第である。

 

やっと昼寝をしたかと、絵具をパレットに絞り出した刹那、まるでそれを狙ったかのようにパッと目を覚まし、ぎゃあと泣き出す。
パレットの上の絵具はそのまま放置され、深夜に制作が再開されたりする。
が、そのときには、自分もボロボロに疲れ果てて、絵筆をにぎる握力すら残されていない状態で、キャンバスにヘロヘロと絵具をなすりつけて、次に子供が目覚めるまでの小さな時間まで、眠りとも呼べない、中途半端な眠りを、貪るのである。

そんな、いわば命を削ってキャンバスにこすりつけた作品が、
ある程度の評価を戴けるとしたならば、命を削った甲斐はあったなと
感謝したい。同時に、よくやった自分。と思う次第である。

 


実際、1日のほとんど全ての時間が仕事と家事育児に支配され、個人の人間として、能動的に行動できる可処分時間は、本当に小さい。
しかもその時間がやっと手に入ったときは、正直なところ、疲労困憊の極みで、とてもここからもう一仕事するなんて考えたくもない状況である。

だけど、潤沢な時間があってじっくり試案して制作した絵には、なんら魅力がないと批判をうけるのに対し、あえてこの半分死んだような状況でゾンビのようになって描くストロークの中に、世の中が「おもしろい」と思うものがにじみ出てくるのが、皮肉である。

人は、人の苦しみを娯楽にして生きているのである。□