NintendoSwitchのEGGConsoleで
「夢幻の心臓Ⅱ」がセールされていたので買ってしまった。

ドラクエ前夜のRPGである。
今の若者たちからみたら、画面の古さ、動きのにぶさに「とてもプレイなどできたものではない」などと見向きもされないのではないか。
勿論今の成熟したゲームは素晴らしいが、自分の目には、この当時の全力である姿もまた、今のゲームに匹敵する程、燦然と輝いて見える。
「夢幻の心臓Ⅱ」が発売された当時、自分はファミリーコンピュータを手にいれたばかり。
ドンキーコングやマリオブラザーズに夢中で、まだファミマガやらファミ通も発売されていないころだったと思う。
当時の自分は、ファミコンだけでは飽き足らず、Loginやらマイコンベーシックマガジンといったパソコン雑誌を、とくに、そこに掲載されるPCゲームの情報を貪るようにみていた。
パソコンのゲームは、アドベンチャーゲームとかRPGなど、キーボードを使って物語を進めていくもので、当時のファミコンにはない、深さがあった。また、文字を読む形態のゲームや、緻密で美麗な画面のゲームも多数あり、圧倒的な存在感があった。
さらに、子供では決して手の届かない高額のパソコンを持つ者だけが見られる世界だからこそ、絶対的な憧れとして自分の中に焼き付いたのだろう。
中学校時代のクラスメートに武山(仮名)という親友がいた。
彼はファミコンには手を出さず、PV-7という名のMSXパソコンを相棒にして、パソコンの世界に浸っていた。
キーボードからプログラムをうてば(理屈では)どんなゲームでも自分で作る事が出来る。さらにパソコンならではのアドベンチャーやらRPGも遊べる。
自分より1つ,2つ上の世界で、限られたおこずかいと時間の中、そのこだわりを貫いていた。そんな彼を通して、自分は大人の世界をのぞいていたのかもしれない。
MSXは当時前線を走っていたPC88やらFM7、X1といったPCたちに比べたら、小中学生でも手を出せる入門機という感じで、そのスペックを見ても、できることはかなり低かったかもしれないが、それでも、彼の家に遊びに行くたびに、目の前に展開される世界に、自分は、ファミコンにはない、充実と憧れを見ていた。
武山は、手書きの完全オリジナルのペーパーアドベンチャーゲームも自作していた。
「アレスの冒険」という題されたシリーズの長編で、その第一弾として「地獄」を発表した。
それは紙ベースで作られたゲームでありながら、緻密で、濃厚で、深かった。
その「地獄」の中に、彼が登場させていたモンスターたちが、まさに「夢幻の心臓Ⅱ」にでていたモンスターに酷似していた。彼自身も手がでなかったRPGの最前線にかなり影響を受けていたのである。
緻密で美麗なデザインで表現されたモンスターたちは、おどろおどろしく、またかっこよく、当時まだ知らないRPGというゲームの世界を、はるか海のかなたの外国を想うような気持で見ていた。
結局、「夢幻の心臓Ⅱ」というゲームをプレイする機会は、当時の自分たちにはなかった。
PCの雑誌で紹介された限られた記事と、自分の頭が生み出した憧れ。それだけを元に絶対的な「美」と「憧憬」が脳に焼き込まれていた。
そんな「夢幻の心臓Ⅱ」が数十年にわたる時間を経て、ついに今、手に入ったのである。
あのときの憧れをそのまま憧れとして、頭の中に残しておくべきではないか、という気持ちもある。
実際にプレイしてみて、頭の中に長く作られた神格的な憧れの形が崩壊する可能性もある。
だが、それも含めて、まずは手に入れたかった。
本気で最後までクリアしようという気持ちはない。むしろ、コレクターアイテムとしての価値の方が高いのかもしれない。
何十年も消えなかった欲望が、何十年かかって実現されるという気持ちは、多くの人にはわかるまい。
長い間自分の中に蓄積され放置されてきた欲望が少しずつ解消される、そんな時代、そんな年齢になったのだろう。□