夢十夜 Season3 第五夜

こんな夢をみた。

30年ぶりに叔母にあった。
いとこのほうちゃんとたっちゃんも一緒だ。
叔母もいとこも30年前のままだ。
通りに作られたオープンテラスのテーブルに4人で座った。
人通りも多く、なかなか賑やかな通りだ。
京都の三条通にある京都文化博物館の界隈に似ている。
ふりかえると、すぐ後ろに、ものすごく古いぼろアパートが建っている。
まるで亡霊でも住んでいそうな、おどろおどろしさが感じられるような、いわくありげなアパートだった。
だけど、入口には階段が作り足されていて、自由に入れるように解放されていた。
ちょっといってくる。とアパートに入ってみると、中は3階建ての吹き抜けになっていて、テナントになっているようだ。
全てに店舗が入っているわけではないが、どの店もなかなかおしゃれで、うまくリノベーションされている。3階まで階段をのぼると、提灯が一つ灯っていて、入口に女性が並んでいる占い店があった。どうやらよくあたるみたいだ。
隣の空き室はガラス張りになっていたが、その中にも占いを待つ女の子がひしめき合っている。
3階からさっき入ってきた入口を見下ろすと、2階にはふわふわの羽毛布団がどっさりと敷かれている。ぼくはその布団に3階からダイブした。気持ちが良い。
それから外に出たら、いとこたちが「〇〇やってみる?」と声をかけてきた。
「〇〇やったら、出てきたものを受け入れないとダメだよ」
おまじないか、占いのようなものだったろうか。
よくわからないまま、やってみることにした。
やがて、スーパーで売られるいちごのパックを、ひとまわり大きくしたような容器に、おがくずのようなものがたくさん入れられたものが渡された。
どうやらこれが〇〇らしい。
いとこがそうするのにならって、僕は〇〇にいちごジャムのようなものをかけて、そのおがくずのような〇〇を一生懸命吸い込んでいる。□

ゲームセンターCX 15周年!!

 

ゲームセンターCX15周年感謝祭 有野の生挑戦を観戦。

 

もしかしたら有野課長とはこれから一生を共に生きていくのではないか。

そんな気すらした、まさに2018年を象徴する大興奮のイベントだった。

15年前、職場の後輩が「面白いっす」と絶賛して薦めてくれた「ゲームセンターCX」。
見てすぐに虜になった。

当時のファミコンゲームは、途中セーブする機能がなかった。
小学生だった僕らは、親の監視の目を逃れながら、限られた時間の中で遊ぶしかなく、いいところまで進んでも一日が終われば電源をOFFにして「ハイ、オシマイ」なのであった。そして、また次の日には最初からやり直しである。
結局、僕らはそんなゲームのラストを一つも見る事は無く、過去に多くのゲームソフトを置き去りにせざるを得ない時代を過ごしてきた。
そして、今僕らは大人になって、ある程度の経済性を手に入れたものの、今度は体力や時間が無くて、結局存分にゲームを遊ぶことはできない....。

ゲームセンターCXは、そんな過去においてきたわだかまりを、そして今遊べなくなってしまったストレスを、有野課長が挑戦と称し、体を張って次々とクリアして魅せてくれるのだった。

レトロゲームへのノスタルジー。できなかった劣等感。体力の衰え。時間の渇望......。

多くのゲーマーたちが抱えるそんな挫折を、有野課長、そしてゲームセンターCXのスタッフたちが背負い、挑戦していくのである。

以来すっかり目が離せなくなり、気付けば15年という歳月が流れていた。
このたび15年目を迎えた有野課長とスタッフたちは、幕張メッセに現れ、これまでの挑戦で失敗した7本のゲームに挑んだ。
10年程前に秋葉原でのDVDボックスの発売イベントに参加したときは、20メートル四方くらいの大部屋に100人程度のファンが集まった程度だったのだが、15年目の今、なんと10000人ものファンが幕張メッセに集結し、ステージの上で奮闘する課長を見守り、狂喜したのであった。
近年では感じられなかったカタルシスが毛穴から噴き出して、ものすごく大きな元気をもらってしまったのだった。

次は5年後の20周年。
まだ課長は挑戦しているのだろうか。
そして次は25周年、30周年、50周年....と頑張ってくれるのだろうか。
有野課長の挑戦する姿は、きっとこれからの自分にとって、大きなエネルギーになり続けてくれるだろう。
このままレトロゲームに挑戦する老人まで突き詰めていってほしい。と切に願い、会場を後にしたのだった。

 

追伸。5年後に、このブログを読み返してニヤニヤしたいなぁ。□

 

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入口に掲示されたファンからのメッセージ。
これだけの思いを有野課長はしょいこんでいるのです。

 

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物販は売り切れ続出。

 

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ガチャガチャを1回遊びました。
消しゴムが当たったよ。

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有野課長撮影タイム。
Cブロック。なかなか見やすい席でした。

 

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なんとアンコールまで!?(笑)いやー楽しかったなあ~。

ハロウィン!

 

山手線飲み会をはじめよう。

 

ぼくらにはまだまだ知らない街、知らない店がある。
いきつけの居酒屋もいいけど、知らない駅、知らない街を歩いてまだ知らぬ名店に出会い、飲んでいこう!
そう発案してスタートしたのが山手線飲み会であった。そしてその第一回目は目黒駅だった。
以来、毎回新しい駅に降り立ち、いきあたりばったりで駅の界隈を散策し、新たな店と出会い、呑んできた。
全28駅。足かけ8年。
その山手線飲み会が、ついに、このたびの渋谷駅で完結を迎えたのだった....!

それぞれの駅に、様々な思い出が去来する。

期待通りの下町感あふれる鶯谷巣鴨

おしゃれなお店が立ち並ぶ割に、居酒屋が見当たらなく苦戦した原宿。

悲願の新宿、思い出横丁。

予備校のイメージしかなかったが、古いアパートを改装した居酒屋街など思った以上に呑めた代々木。

そして最後の渋谷。
学生時代には映画をよく見に来たものだったが、思えばお酒を飲みに来たことはほとんどなかった。
今、改めて酒を求め、渋谷を彷徨ってみると、想像以上の充実ぶりで驚いてしまった。
老舗の山家、鳥竹。そして日本酒にこだわるKURANDに米心。これでもか!とばかりにお店が林立している。
まさに山手線飲み会の最終回を締めくくるにふさわしい充実ぶりなのであった。

そしてその記念すべき最終回をさらに強く印象付けたのはハロウィンだった。

その日の渋谷は、奇しくも10/31のハロウィンを迎える直前の週末だったこともあり、スクランブル交差点を中心として、大勢の警官がそこここに立ち、混乱を未然に防ぐために取り締まっている。
どこからか救急車や消防自動車まで登場し、なんだか狂気のお祭りを思わせる、ものものしい雰囲気にあふれていた。
若者たちはそんなこともおかまいもなく、ゾンビやらマリオやら好き放題のコスプレ祭りだ。
外国人観光客ですら、母国のオリジナルを忘れ、日本のコスプレハロウィンに溶け込んで大騒ぎをしている。
そんなちょっとした狂気のお祭りが、山手線飲み会の最終回を忘れがたい思い出に彩ってくれたのだった。

やっぱりお祭りはいいなぁ。
毎年ゾンビになりたい。と思っているが、来年こそはゾンビになって居酒屋に飛び込みたい。

さて山手線飲み会が最終回を迎えたばかりではあるが、次回からは銀座線飲み会がスタートすることになりました。

ぼくらの酒場放浪記はまだまだ続くのであった。□

 

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再出発

二紀本展が六本木の国立新美術館で開催中です。

応援、ご指導頂いている多くの方々から、いろいろな激励のことばをいただきましたが、とても喜んではいられない結果だったと猛省しています。

また来年に向けて再出発します。

 

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今日の一冊

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表紙に書かれているのは書店員の推薦文のみ。

「是非この本を読んでください」

でもタイトルは伏せられている。
買うまでタイトルだけでなく、どんなジャンルの本なのかすらわからない。
すべてを見えないようにして手に取ってもらおうという書店の工夫だった。

「文庫X」と呼ばれて本屋に登場したこの本は、日本中で話題となった。

いづれ読まなくてはならないとずっと思っていたけれど、この秋にようやく読むことができました。


「殺人犯はそこにいる」清水潔 著 新潮文庫


それが「文庫X」の正体だった。

小説ではない。
10年以上前に起こった実際の連続幼女誘拐殺人事件を追い続けた報道取材のノンフィクションである。
たしかに、手に取る前にタイトルを見てしまったら、置いてしまっていたかもしれない。
それでもこれだけの想いをもって自分の目の前に現れたこの本を、読んでみようと思った。

まず感じたのは、ジャーナリストである著者の事件の真実に対する執念、想いの強さである。
なにかを相手に伝えるというためには、強い想いが必要だ。
本書は、実際に起こった事件をモチーフとしながら、狂気ともいえるほどの著者の真実への想いが詰まっている。書店員から多くの読者に伝播していったのは、この想いの強さゆえだろう。

もう一つ感じたのは、組織を動かすことのむずかしさ。である。
日本の社会は成熟している。
人が集まり組織が大きくなるほど、どんどん保守的になる。
それまでのやりかたを変えられなくなる。動けなくなる。
著者は事件に対し、独自に様々な調査を進めながら、真実に肉薄するほどの情報を収集し、真実を明らかにするべく行動を起こすよう組織に訴えかけていく。
だが、動かない。のである....。その姿はこの事件だけでなく、多くの社会にもその縮図を感じることが出来る。

ずっしりきます。でも吸い込まれました。記憶に強く残る一冊になりました。□

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楽しく描く

 

「ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」


ふだんあまり仕事での接点がない先輩に声をかけられた。
なんだろうと思い、話を聞いてみると、
職場のスポーツ大会の応援旗を描いてほしい。ということだった。

最近は、二紀展の出品が終わって、ちょっと呆けたような日々が続いていました。

もうこのまま絵は二度と描けなくなってしまうのではないか。
そんな不安を感じるほどまでに、抜け殻になっていたのだけれど、この一言をもらった刹那、まるでカラカラに乾いたぼろ雑巾が、天から大雨を降り注ぎ受けたかのように、一瞬でうるおいを取り戻したのでした。

ふだんの作品は誰に頼まれて描くでもなく、自分のためだけにやっているから、多くの人たちにとっては「知らんがな」なんですね。
それでも強い魅力を出す作品が作れていたら、人の目を多少なりとも引くこともできるのだろうけど、自分の絵にはそれほどのチカラも無く、だいたいはどこかに埋もれて終わっていってしまうのが常です。
だけど、頼まれて描く絵には、大義名分がある。
絵に関心があるかないかは関係が無くて、絵がそこになくてはいけないという大義名分があります。作品を待つ人がいるのですね。また見る気が無い人の目にも必ず触れるわけです。
だから、そんな仕事は、燃えます。そして面白い。

50号くらいのサイズでしたが、いちもくさんに家に帰って、2時間かけて一気に描き上げました。
楽しかった。
描くということが楽しい。ということを思い出させてくれたのと同時に、自分は未だ枯渇していないということも思いだすことができたのがとても嬉しく、有り難かった。

いつもきりきりと描いて、がみがみと叱られて。そんなんばっかりじゃあ、ダメだね。
たまには楽しく描くことも取り入れたいと思いましたね。

また漫画でも描いてみようかなあ。□

 

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