どんな映画なのかもまったく知らずに観たこともあり、衝撃は大きかった。
劇場公開時のポスターをチラ見したときから、「この映画は特別だ」と自分の勘が強く告げていた。
そもそも、ディカプリオの表情がすごい。
え、何が起こった!? と、あの顔だけで引きずり込まれる。
さらに、糸井重里が「すごい映画を観た」と『ほぼ日』でつぶやき、あれよあれよという間にアカデミー作品賞まで受賞。ああ、やっぱり今年はこの作品がすごかったんだなな。と、劇場で観られなかったことをずっと悔やんでいた。
アカデミー作品賞の対抗馬だった『マーティ・シュプリーム』は、そんな悔しい思いをしたくなくて、絶対に取りこぼすまいと劇場に足を運んだ。
が、たしかに作品自体はすごかったのだけれど、主人公があまりにも“クズ”で、どうにも感情移入できなかった。
やはり、自分が観るべきは『ワン・バトル・アフター・アナザー』だったのだと思った。そして今、ようやく、ビデオで観ることができた。
オープニングから、革命活動の生々しさがみっちり詰まっている。
不法移民たちが半ば牢屋のような場所に閉じ込められ、軍隊に取り囲まれている。その集団を武装して救出しようとする革命軍「フレンチ75」。
ニュースで耳にする程度だった移民問題の、血の通った現実がそこにある。
これはエンターテインメントというより、ほとんどドキュメンタリーのようだ。
父となる前のディカプリオ(ボブ)は、テロに暗躍する男だった。革命の同志である黒人の女とともに危険な任務をこなし、その濃密な展開が、タイトルバックが出るまでに一気に駆け抜けていく。まるで「これまでのあらすじ」を倍速で見せられているような密度だ。気づけば娘が生まれ、彼は少し丸くなる。過去を捨てて、娘と静かに暮らしたいと願うようになる。
しかし、ボブの妻は「革命はまだ終わっていない」と言い残して去っていく。そして革命の中で人を殺し、逮捕される。そこから、ディカプリオ自身もまた追われる身になる。
ディカプリオの落ち着きのなさ、は映画の一つの見どころになってる。
めちゃくちゃ優秀なテロリストだが、とにかくパニック野郎なのである。
慌てまくるディカプリオと落ち着き払うセンセイは、漫才を観ているようで、日本人にもどこかなじみがあるように思う。
逮捕後の妻は変態軍人・ロックジョー(ショーンペン)に、戸籍を消され、別人として生きるための家を与えられるが、やがてメキシコへ亡命し、そのまま物語からフェードアウトする。
ディカプリオもまた、死んだある家族の戸籍を与えられ、100メートル以内で存在を確認できるリモコンを自分と娘用に一組渡され、おびえながら別人として暮らし始める。
町の中心を離れ、山小屋のような家でひっそり暮らすボブと娘。やがて、娘は16歳になるが、16年経っても追跡は終わらない。
かつての革命軍の同志から電話がかかり、「追手が来る」と告げられる。学園祭に行っていた娘は同志にかくまわれ、修道院へ運ばれる。
家には武装した警察が押し寄せ、秘密の地下通路から逃げる最中に催涙ガスを投げ込まれ、辛くも脱出し、娘の空手の先生のもとへ逃げ込む。
このあたりから、いつの間にか始まっていた逃走劇が一気に加速し、「ああ、ここから映画が始まるんだ」と気づかされる。
この映画のすごさは、追跡と逃亡の緊張感が途切れないことだ。
執拗に追ってくるのが、ショーン・ペン演じる変態軍人・ロックジョー。テロリストであるボブの妻に執着し、子どもまで作ってしまうような不浄さをまといながら、「クリスマスの冒険者」という謎めいた組織に入りたがっている。
もしかしたら自分の娘かもしれないその子供を確保するために、公の地位を利用し軍隊を動かし、学校に迫り、鶏肉屋に迫り、メキシコにある空手の先生の家に迫り、ついには修道院の教会で娘を捕まえる。
親子認証検査までして、彼の本当の目的がそこで明らかになる。
そして、ベニチオ・デル・トロ演じる空手のセンセイの存在が素晴らしい。
高田延彦+古谷一行+宮沢和史のような、どっしりとした風貌と余裕に好感をもてる。
メキシコのアジトの魔窟感、ファミリーとの連帯感・指示も秀逸だ。
あわてるなと缶ビールを渡してくるところが、なんともかっこいいカリスマリーダーだ。その落ち着きぶりを、あわてはてるディカプリオが、壊してくる感じがまた、面白い。合言葉を思い出せずに逆切れするディカプリオをなだめたり、最後は車で逃走中にパトカーにひっかかり「そこのカーブで飛び降りろ、1,2,3,4!はやく飛べよ」となかなか慌てないセンセイがうろたえるのも、笑った。
2時間40分という長尺なのに、まったく長さを感じない。戦いに次ぐ戦い、追跡に次ぐ追跡。その果てに待っているのが、メキシコの荒野での三つ巴のカーチェイスだ。
これは本当に映画史に残る名シーンだと思う。
逃げる娘、追う“クリスマスの冒険者”、探す父。
メキシコの砂漠、上下に激しくうねる坂道のハイウェイを、時速200キロくらい(適当)で駆け抜ける。
すぐ先の道すら見えない、うねりが続く。
そこを、次の瞬間、何か飛び出してこないのか、はらはらと目が奪われる。
そもそも今どういう状況なのかもよくわからない。とにかく、無言のチェイスが行われている。そんな観客の脳を軽く脳震盪に誘い込むような演出が素晴らしい。それを支える珍妙な楽曲もまた緊張感を盛り立てた。
かつてない、舞台設定と、どんでん返しと、追跡劇。
それがワンバトルアフターアナザーだ。
これはとんでもない映画をみた。と大満足だったが、
ラストだけは少し引っかかった。
あれほど過激だった妻が、あんなに優しい手紙を書くのか?
あれだけ血と泥にまみれた物語を、最後だけ急に“きれいな話”にまとめようとしていたところに違和感が残った。
折角そこまで積み上げてきた、人間の業の怖さの物語で押し切ってほしかった感じがする。
この感覚は、「スラムドッグミリオネア」のラストに突然、歌とダンスが始まった時の失望に似ていた。
それまでの、リアリティのあるはりつめた緊張感が全部「エンタメ」に置き換えられて、「あ、作り話だったのね」と、虚構にひきもどされてしまったのだ。
願わくば「あんのこと」のような、絶望感がしっかり残るような描き方をしてもよかったのではないか。これは個人的な趣味なのかもしれないけれど。□