2つのドラマ。

 

朝ドラ「虎に翼」が、めっぽう面白い。

 

実在する史上初の女性弁護士を主人公にしたドラマだということだけど、

ドラマとしてかなり脚色していることは、感じている。

事実をそのままドラマにしても、視聴者の目を引くことが難しいのだろう。

女性の社会進出が虐げられていたという時代を、わかりやすく伝えるために、華族の女性や、海外から来た女性、貧乏で家から逃げ出した女性など、ろいろな立ち位置のキャラクターを配置して、イベントを盛り込んで、物語を際立たせる。

家族像の描き方も、いわば漫画的で、わかりやすく、面白く、個々のキャラクターの性格や挙動をデフォルメして描いている。

 

いわば、味の素がつくりだすうまみのようなドラマだ。

うまみをつくるのに、化学調味料は邪道だ。という人には向かないかもしれない。

でも自分は、手段はどうあれ、美味しいのであれば、肯定する人間だ。

弁護士というキャラクターがこれまでにドラマ化されて成功した事例は多くあって、そのときに確立されたノウハウがあれば、史実をたどらなくても、物語をおもしろくすることは容易なのかもしれない。

素直に、つくりあげれた戦う女性のドラマを、楽しみたいと思う。

 

対して、大河ドラマ「光る君へ」は手探りだ。

史実はありながらも、残されている資料は少ない。

戦のない稀有な大河ドラマとして、ほとんど残っていない記録の隙間の部分を埋めながら、おもしろくドラマをつくりこむということを、脚本家自身が手探りをして探しながら描いていることが伝わる。

虎に翼のような王道はなく、「今、探しているかんじがする」ドラマだ。

視聴者も、おもしろいところはどこ?と探しながら見ている感じがする。

即物的に見るのではなくて、作者たちと共に探しながら見ていくというのは、それは新しい体験で、どうなるかもわからない新しいドラマを共に作る気持ちで観ることができる。

 

両作の、成功を祈る。□

激怒。

 

自分は、未だ、こんなに激怒するパワーがあるんだな。と、

激怒してから12時間以上たって、少し頭が冷えて、思った。

 

振り返ると、なんで激怒なんてしたのか、よくわからない。

ちょっと恥ずかしい気持ちと後悔がある。

同時に、激怒してよかったという気持ちもある。

とにかく、その瞬間にとんでもないエネルギーが爆発した。

 

1つめのいらだちを解消するための6秒の間に、

2つめのいらだちがさらに覆いかぶさってきて、

それを解消しようと働く12秒の間に、さらに、

追い打ちをかけるように、3つめがかぶさってきた。

そこでアンガーマネージメントの壁が決壊したんです。

そういうことです。

もろいな、俺の壁。今、そう思う。

せめて5発くらいは耐えられないものか。

まあやっぱり仏の顔も三度まで。で、3発までなのか。

むかしのひとは、よく学んでます。

 

大阪支部で、支部長と事務局長が大喧嘩していて、

事務局長、やめちゃうんじゃないかとハラハラしたけど、

宴会で、大丈夫ですかって聞いてみたら、

「言いたいこと言った方がいいんだ。たとえ喧嘩しても。

 それで相手は、そこまでいうと喧嘩になると境界線を

 はってくれるから。」

なんて言ってる。冷静な喧嘩をしていた。

 

喧嘩ができるってのも才能、スキルだと思う。

喧嘩をするくらいなら、平和を選ぶってことで、

我慢を貫き通しちゃってる奴ってのが、僕だから。

 

俺も、喧嘩ができる人間だったらよかったのに。

 

激怒して、世界が変わるなら、激怒の価値はあった。

でも、たぶん、世界は何も変わってない。

でも、たまには激怒して、自分の器の限界を、世界にさらさないと、と思う。□

シン労い。

 

ほんとうの「労い」って、

 

「いつもありがとう」とか「助かってます」といった言葉を、
口先で伝えることだけではない。いうだけなら誰でもできる。

 

ほんとうの「労い」って、

 

「いつもありがとう」の言葉の後に、例えば、
「このおこずかいで、好きなものを食べて、楽しんできてください」とか
「今日一日は仕事のことは一切考えず、ゆっくり過ごしてください」とか
そんな「ご褒美」をあたえること。なのではないか。

 

毎日しんどい業務やら家事をたんたんと繰り返していて、
日々の営みがうまくいっているかどうかすらわからず、
考える間もなく頑張っている人に、
おつかれさまと声をかけて、ボーナスを与える。
というのが、シン労い。なのだと思うのです。

 

組織で言えば、日々頑張る部下に対して、部長課長が宴会を開いて
「毎日お疲れ!今日はおれのおごりだ」と太っ腹におごったりして
部下のストレスを解放する。
それで、部下の方は「気にかけてくれてありがとうございます!
明日からも頑張ります」と器を空にして翌日からがんばれるのである。

 

家庭で言えば、

「毎日家事育児お疲れさま、今日一日は家のことを忘れて羽を伸ばしてきてね」
というのがそれにあたる。

 

日々の暮らしの中で、労いってのはとても大切だ。
それがないと、日々の営みが立ち行かなくなる。それほどのものです。

 

お金や時間、それに同等のご褒美を贈って、
日々頑張っている人を励ますこと。

 

それこそが、「シン労い」なのだと思う。

 

労う側は、いつも場を見て、実務者を労う準備をしておくこと。

労われる側は、期待せず待ち、届いた労いを感謝して受け取ること。

 

そんなことで、世界って健康に回っていくのだと思う。

上っ面の言葉には出せない、ご褒美こそが、ほんとうの労いです。□

買うということ。

 

道尾秀介の「雷神」を買ってしまった。

 

また、本を買ってしまった。

読みたい本は、家にどっさりと積ん読されているというのに。

それらを読み切るにも、相当な時間がかかるだろう。

新しい本を買うのならば、それらを読み終わった頃でもいいはずだった。

それでも、買ってしまう。

本を買うということは、もちろん、「読みたいから買う」のだが、

その前段に、「買いたいから買う」というところがあるのかもしれない。

 

買ってすぐ読むわけじゃない。

どうせ積ん読になるのだ。

だけど、買うという行為をしたいのである。

買って、その新刊を抱きしめて紙のにおいをかぎたい。

それによって、現在自分の中にたまったストレスやらは、

確実にリセットされるのである。

 

読むためだけに本を買うのならば、確かに充分な積ん読があるのだから、

買う必要はない。

だが、買いたいのだ。買うという行為で、ストレスの中和をしている。

それがないと死んでしまうのかもしれない。

 

買うために買う。そういう買い方があり、自分にとっては、それも本がもたらしてくれる恩恵のひとつであるということを、最近強く感じている。

 

積ん読万歳。である。□