今日の日本酒

 

「田中仙禽 ver.2023」

(福岡県糸島市+栃木県さくら市/有限会社白糸酒造+株式会社せんきん)

 

仙禽|SENKIN|オフィシャルサイト

 

65 | 白糸酒造

 

すごいコラボレーション。

からくもなく、あまくもなく、静かな酒である。

高価な酒なので、大切に、大切に、呑む。□

 

酒とコンテンツ

 

磯野波平が、露天風呂にお盆を浮かべ、

日本酒を飲みながら温泉につかり、

至福の時間を満喫している。

......そんな映像が長い間、頭に残っている。

 

これは「温泉」と「お酒」という至福を合わせこむという、人間が手作りできる「天国」を視覚化した映像なのだろう。

 

だけど、実際にこれをやってみると、

健康に悪いだとか、のどが渇いてしまってそれほど楽しめるものではないとか、思った以上に準備がやっかいだとか、細かいところで「面倒」があって、それほど「天国」ではないと思い知るのだが、やっぱり人間、そこはわかっていても、少しでも天国に近づきたいと願い、旅の解放感も手伝って、そんなアンタッチャブルに手を出してしまうものなのだ。

 

先日、温泉に酒。とまではいかないにしても、テレビに酒。という時間を手に入れる機会があった。

ワイン片手に、今なお見終えていない朝ドラ「虎に翼」を少し見たり、奇しくも先日訪れた湯村温泉を舞台にしたNHKドラマの再放送「夢千代日記」を見たり、久々に起動したNintendoSwitchで令和の「オホーツクに消ゆ」をプレイしてみたりと、いろいろつまみぐいをしてみたのだが。

もう、これは言葉に尽くせないほどの幸せだったのだけど、とんと何も覚えていないのよ、翌日になると。

酒を飲みながらストーリーを追いかけるというのは、意外とできない。

見ているときはわかったつもりになってるけど、1分前の情報の上に今の情報が上書きされて行っているような感じで、観終わったあとには最後の1分しか記憶に残っていないみたいな。

で、翌日にまた酒を飲みながら忘れたところから、復習を兼ねて見始める。

すなわち、いつまでたってもずっと同じところを繰り返しているという..........。

...............何をしているんだ、俺は。

 

でも、「酒とコンテンツ」という合わせ技の魅力はどうしても捨てられないんだよなぁ。わかっちゃいるけど、やめられない。植木等。□

今日の語録

 

「朝のリレー」

 

 カムチャッカの若者が

 きりんの夢を見ているとき

 メキシコの娘は

 朝もやの中でバスを待っている

 

 ニューヨークの少女が

 ほほえみながら寝がえりをうつとき

 ローマの少年は

 柱頭を染める朝陽にウインクする

 

 この地球では

 いつもどこかで朝がはじまっている

 

 ぼくらは朝をリレーするのだ

 経度から経度へと

 そうしていわば交替で地球を守る

 

 眠る前のひととき耳をすますと

 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる

 

 それはあなたの送った朝を

 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

 

(「谷川俊太郎詩集」思潮社

 

意義あり!

 

2024の流行語大賞が「ふてほど」に決まったそうだが、

「なんだそれ?」という感じです。

一度も聞いたことすらない。みんな知っているのか。

テレビを見られていないイクメンは完全に置いてけぼりだ。

 

「8番出口」大賞というのと同列のような印象があるが。

 

やっぱり個人的には「50-50」だと思うのだけど。

NEWSで連日報道されているようなキーワードが選ばれるのがいいと思うのだが。

 

「103万の壁」も含めてもう一度大賞を選び直した方がいいんじゃないか。□

今日の一冊

 

百年の孤独」 ガブリエル・ガルシア=マルケス著 新潮文庫

 

 

ノーベル文学賞だとか、

百年に一度の傑作だとか、

マジックリアリズムだとか、

筒井康隆氏や池澤夏樹氏が絶賛してるとか。

 

そういう言葉に背中を押されるようにして手にとったのだが。

 

 

..........めちゃくちゃ、きつかった。

 

しんどかった。

 

これほどまでに、読むのが苦しかった小説というのは「カラマーゾフの兄弟」以来ではないか。

むしろ今となってはドストエフスキーの方が余程読みやすかったという気すらする。

 

数ページ読むたびに、まだこんなにあるのか..........と、残ったページ数を見てその途方もないボリュームに大きなため息が出た。

例えるならば、泥酔した酔っぱらいの不条理でとりとめのない愚痴を、まさに100年間にわたって寝ることも許されず、聞かされているような気分だ。

 

じゃあ読むのをやめたらいい。というのもあるが、これほどまでに世の中が絶賛している作品を途中で投げるのは、本好きとしてのプライドが許さなかったし、なんだか敗北宣言をする自分も許せなかった。

そんな変なこだわりが自分を支配して、逃げるにも逃げられない数か月が続いた。

 

最初から最後までほとんど改行すらなく延々と続く600ページ。

同じような名前の登場人物が、死んだりよみがえったり、行ったり来たりしていて、なにがなにやらわからず、やがて、物語についていくのもしんどくなって、最後の方は、もはや、ただ活字に目を通しているだけで物語など全く記憶に残っていないような状態だった。

それで、ほんとうに読んだと言い切れるかどうかも怪しいが、もう読んだということにして、ただただ卒業をしたい。そんな気持ちの方が強くなって、本を置いた。

 

ただ、好き嫌いは別にして、良いか悪いかでいえば、当然良い作品だということはわかる。やめてくれ!と叫ぶほどにこれだけの言葉があふれ出てくることが、もう人間技ではないし、世界的に「おかしい」ことは理解できる。

だけど、それだけにこれを読み切るためには、この世界にどっぷりと浸れるだけの潤沢な時間と体力が必要であるのは間違いがない。

育児をしながらの片手間に読める本では絶対にない。

 

面白いと感じたエピソードはあった。

・P353 すごい娼婦たち

・P392 象女との食べ比べ対決

・・・

(その他思い出したら追記)

 

本作から影響を受けたか、偶然かわからないけど、下記作品たちもマジックリアリズムかもしれないと連想をした。

ドストエフスキー

・野田MAP

・ブラム!

・ビッグフィッシュ

・哀れなるものたち

・「育児図」

 

一つ一つ読みこんでいけば、充実した読書体験はできるのだと思うけど。

専門家にとっても研究しがいのある作品なのだろうと思う。

 

でも、自分は当分、封印です。

NHKの100分で名著、とかで取り上げてほしい。□

 

1000ya.isis.ne.jp

ほぼ日の學校 老いと死1 養老孟司 VS 糸井重里

 

www.1101.com

 

1

勉強中というか「修行中」かな。
解剖学に取り組むことって、
一種の修行だと思うんですよ。
つまり、解剖の際は、
感情を適度にコントロールしないといけないし、
不要な好奇心は抑えないといけない。
相手にしているのは、
亡くなっていても人間ですから、普通は
「どういう人だったんだろう」
というような興味が出てきます。
でも、その興味をあまり
深堀りしないようにするんです。

 

やむを得ない事情で、
知り合いのご遺体を解剖したこともありましたが、
「二人称」だと、どうしても落ち着かなかったです。
言ってしまえば、知り合いという感覚が、
解剖学の場面においては
邪魔になってしまうんですよ。

 

2

1990年から2020年までの30年間で、
世界中で昆虫の8、9割が消えてしまったと
言われていますから、重大な変化です。

 

日本の食料自給率は、
2000年度以降ほぼ40%で低迷していますね。
ということは、日本に暮らす私たちの体の
60%は外国のものでできているんですよ。
物質的なことだけで考えれば、
60%は外国人だとも言えるかもしれません。

 

3

共同体をつくり出しにくい社会に
なってしまいましたね。
その原因の一つは、
「自分がどういう生活をしてきたのか」について、
日本人があまり考えてこなかったことだと思います。
だから、それまでは自給自足して生活していたのに
「必要なものがあったら、
外国から安い値段で買ってくればいい」
と考えるようになって、急速に生活を変えていき、
自給自足できる集団を壊してしまったんです。

 

昔はお金をかけるのではなく
自分たちでやっていたことを、
お金でできることに変換してしまったんですね。

 

養老さんは、人体のしくみを語るように
歴史を語りますね。

 

4

GDPが下がっている日本は
褒められてもいいくらいだと思うんです。
日本の実質賃金が上がらないのは、
GDPを上げるための自然破壊を
してこなかったぶんのマイナスを、
国民全員が背負っているからだと解釈できます。
つまり、GDPが下がっている間の日本は
「全員が損してもいいから、
これ以上無理をして発展しなくていい」
という選択をしたのではないかと。

 

5

虫の死骸って、標本にした瞬間から
「人の世界」に入るんですよ。
ただの虫の死骸だったら、
世界中にいくらでもありますが、
標本にして人と関わることによって
「作品」のようになる。

 

諸行無常でいいと思うんですよ。
形あるものは必ず滅びる、ということで。

 

生物を情報として見ると、
時間とともに少しずつ変化していくんですが、
生物を1個の物語として見ると、
いつの間にか、
シーラカンスがヒトになっちゃうわけです。
伝言ゲームみたいなものでね。

 

6

 

映画や文学についても、
普通だったらしつこいだろうな、
と思うくらいまでは考えます。
一方で、特定のテーマについては、
どこかで打ち切るということも決めています。
さっき言った「自分」というもの、
それから「生死」の話。
これらは、考えてもしょうがないです。

 

 

【考察】

★ことばの中に深く根差した考察の結果や根拠が感じられる。

 投げかけられた質問に「なんとなくそんなかんじ」というような丸めた返事が一つもない。長く生きた分、そこは考え尽くしてます。というような隙のない対話がある。そこが、世の中が「識者」という存在として彼を認める力なのだろう。

 

★メカニズムの説明が面白い。
 虫が減る→虫を食べる鳥が減る→山が乏しくなる→植物が実らなくなる→クマやシカが山から下りてくる(生態系が壊れていく) 
この問題を解消する手段は「犬を放し飼いにすること」(ブータンはできている)?
なんで犬なのかは飛んでいたが、ここにも必ず考察の結果がある。

 

★映画や文学はしつこいほど考えるけど、
 死など考えてもしょうがないことは徹底して考えない。
 考えるべきことと、考えなくてもいいことの、デジタル的な切り分けの潔さ。
 我々もそれくらいメリハリをつけ生きるのがいいのかもしれない。□