ほぼ日の學校ノート あだちみつる VS 糸井重里

【メモ】

あだち充先生の作品のルーツ(=間)は、落語から。
 好きなものを深く深く掘っていくことが、
 無意識に作品に応用できる力になり、活用している姿になっている。

あだち充VS宮本茂
 数はただの数。気にもしない。というのが、あだち流。
 だが、数を目標にする宮本茂流を混在させるのが面白いかもしれない。

 

【語録】

ときどきインタビューでは、
子ども時代のあだち充に向けて描いてる」
というふうには言います。
そいつに喜んでほしいと思いながら
描いているつもりです。
それは、いまだにそうですね。

 

高校時代は落語の本もずっと読んでました。
一応、うちのマンガは間(ま)を
褒められることが多いんですけど、
そりゃあそこはもう‥‥。

うん、落語でしかないですね。

 

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きっと大勢を意識すると
これじゃあ通じないな」とか
わかりにくいかな」みたいなことも
考えちゃいますよね。
だけど、じぶんに向けてだと、
そこはもう信用しちゃってますから。
これで通じるな」で描いてる。
そうやってつくっていったら、
あんなマンガになってしまっただけの話で。

 

ぼくもずっとあだちさん方式で、
そんなのは知らないよ」だったんですけど、
いまの3000万本の話を
じぶんの友だち」がしていると、
あ、そっちもおもしろそうだな」って。

 

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落語はみんなの芸っていうか、
大人も子どももみんな見てるんだよっていう。
そこでやってるんだよっていう意識が、
いつも落語の中にはあるんでしょうね。

 

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チャルメラ

 

深夜に外からチャルメラの曲が聞こえてくる。

 

え、チャルメラ

こんな夜更けに?

深夜の住宅街で?

 

そもそもこの時代にラーメンの屋台というのはあまり見ないし、
チャルメラの音を聞くのもほとんどない。
それが、こんな深夜に?だ。
さらに、こんな場所で?だ。
多くの人が自宅で食事を済ませているような地域で、
ラーメンを食べに外に出てくる人間などいるのだろうか。

屋台なんて、ふつう駅前だろう。
少し飲みすぎても、すぐにタクシーや電車に乗れる場所じゃないと
客だって不安でしょう。

 

・・・もしかして、都市伝説系?
あの世のラーメン屋台で、出会ったらつれていかれてしまうとか...。
うぅ、怖いことを考えてしまった。。。□

刺抜き。

 

2023年の1月にチケット抽選に漏れて、くそったれ!と吠えていた、

椎名林檎のライブ「椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常」だったが、

知らぬ間にお皿が発売されていたので、ポチる。

 

「知らぬ間に」というところがポイントだ。

あのとき、くそったれと吠えてまで感情が高ぶったイベントだったはずなのに、過ぎてみれば、そんな感情は、記憶の彼方に消し飛んで、のうのうと生きる今。

何なんだ俺は。

所詮、人の欲望なんてそんなものよ。

 

歳を重ねたからだろうか、もし今後チケットに漏れても、もうどうでもよくなっている気もする。もしはずれたとしても、くそったれ!と吠えることはなさそうだ。放生会に封入された先行予約ナンバーを眺めながら、そんなことを想う。

だって今どき、ライブビューイングだの、ネット配信でもライブは観られるようになってしまったし、それを見逃したとしてもちょっと待てば、お皿になって発売されたりもする。
生で観たい!というのは今も当然の価値としてあるが、同時に会場への往復の混雑やら、その他いろいろな手間や調整を考えてしまうと、家で深夜にでもゆっくりワインでも飲みながら、BDやらネットで鑑賞する価値のほうが高いように思い始めてる。カメラだって会場よりも演者により近く、最高の特等席だし。まあ要するに、おっさんになったということです。
歳の数は、諦める数に比例する。ということです。

 

さらに極論、もう観なかったとしても、また次回!でもいいとすら思い始めていたりもしている。その間の数年も、おそらくすぐに何か他の事案で埋まってしまうから、気づけば、次が来てる。とにかく早いのだ、今という時代は。

そう思うとアーチストって大変だ。
客は天邪鬼。常に上から目線でただ求めて来るだけだし、応えなければすぐどこかに飛んで行ってしまう。

 

人の目をつなぎとめておく。というのは、もうそれだけで、とんでもない才能なんだな。と改めて思ってしまうのである。□

ポケモンスリープ

 

ゲームをする時間が、無い。

 

それでも、気持ちだけはやりたい。やる。やれる。と思ったりしているから、

深夜にNintendoSwitchを起動してみたりする。

だけど、新作Newsなどを眺めて、少しやってみようかと思った刹那、

「でも明日も早いし、やることが山積されているし........」とか、

「あの謎に挑戦するとしたら2~3時間はかかるぞ、それをするのは重い」とか、

そんなことが脳裡によぎって「今日はやめとこう」という判断になり、電源をOFFにして眠ってしまう。そんなこの半年である。

 

ポケモンスリープを始めたのはそんな半年前だった。

眠っている間にできるゲームならば。それくらいならば、やれるだろう。と、始めたのだが。始めて見れば今度は、眠る時間がない。

ポケモンスリープは8時間以上の睡眠をする人に優しいゲームになっていて、今の自分のように、せいぜい4,5時間しか眠ることができない奴には、結構冷たいシステムになっている。

でも、冷たかろうがなんだろうが、もうこれしかない。と思ってしまえば、まあ続くものだ。

始めた当初は、ただ画面をタッチしているだけで、ゲームの進行なんてどうでもよかったのだけど、これだけ長く続いてみると、ライコウだのエンテイだのが登場するイベントを心待ちにしていたり、レアキャラを捕まえるために、電気系や炎系のポケモンをがんばって育成したりしている自分に気づく。

飴を手に入れるために、せっせとミッションをこなしたり、がんばってくれるポケモンのスキルを上げるためにはどうしたらいいか、なんてことを真剣に考えてみたりしていて、ふと「あれ、自分すっかりポケモンにはまってるじゃん?」ということになってしまった。
今や、育児と業務の谷間を埋める、なくてはならないゲームになってしまった。

 

それにしても、次々と仕掛けを投入してくる作り手たちのご苦労には、毎回頭が下がる思いだ。

プレイヤーという存在は気まぐれで、すぐに飽きちゃうという面倒な生き物である。
作り手がちょっとさぼったりすると、こっちへどうぞと引く手あまたの他のゲームやらにひっぱりだこにされ、どんどん他に流れされてしまう。

今やSNSソーシャルゲームが当たり前の時代で、作り手はリリースして終わりでなく、ずっとお客さんに寄り添い続けなくてはいけない。本当に大変な時代だと思う。

いろいろ飽きさせないために、ギミックを出してくれることに、すごくありがたい気持ちになってしまう。

 

対して、

ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムは、ソーシャルゲームとは真逆だったなと思う。

あとからアップデートでシナリオを付け足す、なんていう考えを徹底的にナシにして、やりきれないほどの全てのギミックを最初に作り、詰め込んで、発売後の追加を一切しなかった。

今どきのゲームならば、発売日までに出来たところまでをいったん発売して、シナリオ追加や修正は後で配信する、というのが当たり前になっている。

にもかかわらず、ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムは、世界中のすべてのゲームの前衛でありながら、作り方は当時のファミコンと同じように「売り切り」のスタイルを徹底していた。改めて考えると、こんなやり方を今とれるのもまた、ゼルダのすごさだよなと思うのである。

 

ポケモンスリープのように、プレイヤーをつなぐための永続的なギミック奉仕のようなゲームも、

ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムのように、今のすべてをワンパッケージに詰め込んで発売する売り切りのゲームも、

時代を超えて、どちらもすごく愛おしいものである。□

20分の至福

 

仕事帰りに、小腹が空く。

 

...だが、寄り道をしている時間は無い。

家に戻れば育児や家事の仕事が待っている。

入浴させた子供の保湿、着替え、歯磨き、鼻水の吸い取り。
夕食の準備に食器の片づけ。洗濯に床マットの清掃....。
ある意味、業務以上の過酷なルーティーンが待っている。

 

家に戻っても食事が用意されているわけではない。
大人が食べる分の食事は育児が一段落ついてから、
ようやく作り始めるのである。
食べる時間にはこだわっていない。
というか、自分は多少の空腹は我慢が出来てしまう体質なので、
小腹が空いていようと、我慢し続け仕事を優先していたのだが、
最近、ふと気付くと、げっそりと痩せてしまっているようだ...。

 

ほどほどにしないと、死ぬな。と思い、その日は寄り道をしたのだ。

 

軽く。と、自分に言い聞かせ、
串カツの店に飛び込み、生ビール1杯と5本の串カツを頼んだ。

椎茸。ハムカツ。うずらの卵。烏賊。若鳥。
黄金の5本である。

ソースをたっぷり付けた串カツを1本ずつゆっくりと噛みしめ、
味わいながら、ビールで空腹の胃に流しこむ。
なんという至福の瞬間だったろう。

自分なりにゆっくりじっくり味わい店を出たのだが、
時計を見ると、その間、なんとたったの20分であった。

たった20分...!
知らずに早食いの癖がついていた自分に驚いたが、
それ以上にわずか20分で、これほどのしあわせを感じられる自分にも驚いた。

 

思えばビールも最初の一杯が一番うまいものである。
勿論、そのあとも二杯、三杯...と気の置けない仲間たちと楽しめればそれにこしたことはないのだが、実はそこをごっそりと落としたとしても、20分あれば、一番おいしい宴会のエッセンスの上澄みを楽しめる。ということを学ぶ。

 

空腹を放置するのも危険になってきているし、

今後は少しでも業務と育児の間に、

お腹に何かを入れておくことも意識しておきたい。

 

気晴らしも食事も20分でも出来るのだから。急がば回れ、である。□