今更だけど、「国宝、観た」。
これでようやく自分も昨年の流行語大賞の波に乗れた。
映画好きだから、だいたい話題作は劇場で見るようにしているのだけど、「国宝」については、あれだけ話題になったことが逆に自分をミーハーから遠ざけようと安全装置?が働いたのだろうか、どうも観ようという気が起きず、今に至った。
感覚としては、クリント・イーストウッド監督作品に向かうような気持ちに近かったのかもしれない。
作品がよいのは知っているが、どうも他の派手な作品に優先的に時間を充ててしまい、こちらの方は先送りにしてしまうような。
だけど、今観て、大いなる衝撃が。
世の中があれだけ騒ぐ理由が、大きな衝撃となって、まっすぐに心臓につき刺さった。
嗚呼、これはすごい。めちゃくちゃすごい。
歌舞伎界の御曹司としての「血」を持つが「才能」を持たない俊介と、
任侠の家系に生まれ「血」は持たないが「才能」を持つ喜久雄。
その互いに無いものを見つめ、求め、50年を生きる二人の「絆」と「友情」。
血を持たない喜久雄が本家の血筋をしのいでしまうという展開は、ある程度予想はできたが、その後の喜久雄の転落。そして逆に堕ちた俊介の復活。
さらに、どん底から歌舞伎に喜久雄が戻ると、今度は俊介が病に落ちていく。
まるで、神にもてあそばれているような塞翁が馬のような、二人の人生。
二人に襲い掛かる天と地の交代劇、それでも切れることがない絆のようなもの。
「国宝」というタイトルの華やかさ、喜久雄がその輝かしい「ゴール」に向かって進んでいく物語であることは予想はしていたが、そこにたどりつくまでの、起伏のダイナミックさに、目を離せないリアルを感じた。
片足になっても舞台に立とうとする半弥(俊介)の狂気とか、手段は違えど、絵画の世界に身を置く自分の近くにも、同じような狂気が散見され、架空のキャラクターや物語とは思えないリアルがある。
恐れ入った、といわざるをえない。
先日、電車の中で映画について語っていた大学生男子二人の声が耳に入ってきた。
「国宝観た。でも、
それほどでもなかった。騒ぎすぎ。」
.....彼らにとって、どれほどのものがどれほどなのか? 聞いてみたかった。
近々、原作も読みます。(ずっと積読だった)。□
