製作日記 U展(2)

(前回の続き)

 

描き始めのダイナミックな勢いのあるフェーズがいったん落ち着いて、

「ふー」と一息ついたあたりから、危険が始まっている気がする。

 

そこからは、絵をどうやって完成させようかという思案に入っていき、
ここが足りない、あそこに色を足そう。なんて手を入れているうちに、
確かに絵はできたけど、おもしろくなくなっちゃったな。となる。

 

あの、「ふー」の瞬間が、いわゆる「山頂」なんだと思う。

あとはなにをしても下って行くだけのような気がする。

 

「山頂」=絵の完成。としたいのだな。

自分は、ずっとそのための、実験や修行をしているといっていい。

制作日記 U展(1)

 

「勢いを残したまま、作品を完成させる手法」

を確立させたい。

 

真っ白なキャンバスに下絵を描き、絵具をダイナミックにおいていく初期のフェーズは、まだ始まったばかりのこの作品の後先は考えていない。

モチーフも当初の構成がおかしければ、右へ左へと、落ち着く場所をさがしてどんどん動いていく。

そんなときに、当初考えてもいなかった、おもしろいものが出てきたりすることが多い。

だが、制作が佳境を超えて完成に近づくにつれ、その面白かったものが跡形もなく消えてしまっていることが多い。そしていつもそれを残念に思う。

あのときの勢いをそのまま、画面の中に残したまま作品を完成させられないか。と常に考えている。

 

手はダイナミックな動きのまま、絵の細部に亘る書き込みまで終えて、絵筆を置く。

 

100%ではないが、時折それができたと体感することがある。

その精度をあげていきたい。

イノベーションとは何か。

イノベーションとは何かと問われれば、

 

イノベーションとは「アート」である。

 

と答えたい。

 

どんなに人生経験を積んだ人でも、
どんなに長く生きた人であっても、
どんなに多くのものを見たり聞いたりしてきた人であっても、

「アート」は、良いか悪いか、好きか嫌いかは別として、
目の前に出現する直前までは、世界中の誰一人として、
未だそれを見たことがないのである。
そしてそれが目の前に現れた瞬間「なんだこれは!?」となる。

それは別に優れたアーチストだけが出せるものではなくて、
むしろ世界中の誰もが、自分の手で作り出したものはアートなのである。

 

ただそこに、商業性や実用性を求められたとき、
無関心や無価値と判断する人たちの目から捨てられて、埋もれていく。
ただそれだけのこと。

アートは、商業性や実用性を省いてみたら、
万人が生み出せる「イノベーション」なんだぜ。

 

アーチストは、表現に、商業性や実用性を見据えていくのがいいのかもしれないし、
事業者は、商業性や実用性を抑えて、表現たるもののおもしろさ。を見据えていくのがいいのかもしれない。
相互に歩み寄ることで、これからのイノベーションは強化されていくのではないか。

釣り糸を垂れる。(前篇)

 

アトリエメンバーの交流を図るための新聞を、年4回で発行している。

 

毎回のことなのだが、まったくやる気が起きない時間が長い。

本当に発行できるのだろうか。と、いつも〆切におびえたりすることもあるのだが、なんだかんだで最後にはできあがって、よかったよかった。みたいなスタイルがずっと続いている。

 

なんか、突然くるのだ。

それまでの自分に、なんで今までとっととやらかなったんだ?と、問い詰めたいくらい、不思議なやる気が、突然押し寄せてくる。

それまで悩んでいた時間が嘘のように、やる気があふれ出してきて、半日くらいでほとんどの作業が終わってしまうのだ。

その「来る瞬間」がわかったら、もうその他のやる気の出ない時間に悩むなんて無駄は一切しなくて済むのに。

これはいうなれば、「釣り糸を垂れる時間」のようなものだ。

魚を釣る人も、魚が釣れる瞬間とそれ以外の待っている時間があって、多分後者の方がずっと長いのだろう。でも、魚が取れる瞬間がいつなのかといった未来がわかるようになったとして、じゃあ、それ以外の魚が釣れるまで待つ時間というのが無駄だから、その時間は釣りにはいかない。となるのだろうか。

なんとなく、そういった無駄も含めての釣りなのだと思う。

無駄をしたいのだ。その瞬間の感動のために。

 

と、思うと、やっぱりやる気が全くでない時間に悩むことは、やった方がいいのだろうな。それがあっての新聞なんだ。と考えてみることにする。