謙虚のマトリョーシカ

僕はなにもしていない。と思っています。

みんなが動いてくれて、結果、なにかが
できていきます。
僕がしていることは日の丸の書いた扇を
両手にもって、声援を送ったりしている
だけです。
周りにはそんなふうに見えていないかも
しれないけれど、自分ではそう感じてい
ます。ずっとそう思っています。

先日職場での宴会がありましたが、
その席で部長と話す機会がありましたが
彼が言ったのです。

「俺なんてなにもしてないんだよなー」

僕が普段考えていることとほとんど同じ
ようなことをずっと話すのです。

僕の目には部長の活躍はいつもまぶしく
うつっていたのに、彼はそんなことを言
うのです。
みんな自分のやっていることに負い目が
あるのかもしれないな。
それぞれがそれぞれにがんばっているん
だろうけど、助けられているという気持
ちのほうが大きいんだよね。
謙虚のマトリョーシカです。
それくらいの気持ちでいるのが丁度いい
のかもしれない。□

クズの本懐 後編

地震が起こって、メルカリを始めました。

やろうやろうと思っていて、ずっと先延ばしになっていましたが、この地震が後押しをしてくれました。
いつか遊べる、いつか楽しめる。と思って積んでいたものも、死んでしまったら結局、全部ゴミなんです。
それならば遊んでくれる人、楽しんでくれる人に譲った方がいいのではないかと思い至りました。

ひとまずワンピースのフィギュアが売れました。

でもそう喜んではいられません。
売れたものを郵送しなくてはいけません。段ボールの調達や梱包は自分でしなくてはいけません。
さらに送料も手数料もかかってしまって、結局800円で売れたとしたものも、100円程度にしかならなかったのです。実は一番もうけているのはクロネコヤマトだけなのではないだろうか。
まぁ目的は売るという事よりも、自宅に埋もれている価値を社会に還元するということなので、仕方無いのかも知れません。

自分の家の中に眠るものの中で、

最も高く売れるものは何か?

信じられないけど売れたというものは何か?

そんなネタの発掘も目的にしながら、気長に続けてみようかと思ってます。諸行無常。□

クズの本懐 前編

地震が来て。

目の前にある多くのモノたちは諸行無常だと思い知りました。

何かを買って手に入れても、しばらくすればその多くはすぐに忘れ去られ、大抵は「ゴミ」です。

数年たってこういう気持ちになるとわかっているものを、何を考えて僕は迎え入れているのだろう。

守るべきものは僕が決めるのではなくて、社会が決めていく。そういう判断基準にしなくてはいけないと思います。

思えば多くの尊敬すべき先輩のアウトプットも、後続する後輩のアウトプットも、そして僕のアプトプットも、未来100年をみたら、たぶん全部が「ゴミ」です。
今、未来まで守られ続けるような美術は、村上隆山口晃奈良美智、会田みつおの現代美術くらいしかないと思う。
その他は、ぜんぶ「ゴミ」です。一時的なヒエラルキーの取り決めの中で、自分が誰よりも上とか下とか決めつけて、いい気分になっているのかもしれないけど、そんなものは十数年もたたずに全部「ゴミ」です。僕らは一体、なにをむきになっているのだろう......?

東日本大震災が起こったときに、みんな同じような気持ちなったかもしれない。結局、ぼくらは何もできない。人間なんて無力で無価値です。そう思います。

結局、人間はなんのために生きているのだろうか。という議論にまで展開する話です。
そしてその結論は「無価値で無力」。ただそれだけです。それ以上にはなれない。
でも僕は悲観はしてはいない。この不条理の世界に対するなんらかの解をみつけるという目的を持ってこれからの人生を生きるつもりです。

クズから抜け出す方法を探すのではなくて、クズの中で生き残る美学を探すことで残りの人生を生きる所存でいます。□

INFOBAR!!

INFOBAR2を愛している。

INFOBAR2を手に入れてからもう10年以上経過するが、今なお、初めて手に入れたあの時の喜びを全く忘れることなく愛用しつづけている。
その間、時折、auから電話や郵便があって
「そろそろスマホに機種変更しませんか」と言われた。
スマホにした方が月額費用は圧倒的に安くなりますよ」とも言われた。
それでも手放す気など全くない。
このとろけたキャンディのような、やわらかい、かわいいデザインがたまらなく、ぼくの嗜好にフィットする。

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INFOBAR2は僕にとって「永遠の伴侶」といっても過言ではない。
だがそんなINFOBAR2も、最近になっていよいよサポート対象外となり、セキュア通信を使うサイトにはアクセスが出来なくなるなど、不自由な狭い場所に追い詰められつつあった。

そこにきて今日!
INFOBAR xvの発表である!
満を持しての15周年記念モデルが2018年秋に登場するというのである!!吉報である。

 

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実はINFOBAR2の後にも、スマホとなったINFOBARが2度ほどリリースされた。
(下の写真参照)
あのときは気持ちが揺れた。
それでも軍配はINFOBAR2にあがったのだった。

 

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↑左:初代INFOBAR、中:INFOBAR2、右:スマホ版 INFOBAR A01

 

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スマホ版 INFOBAR C01

 

さてINFOBARxvはどうだろうか。

秋に向けて展示会やキャンペーンが多数展開されるようだ。
じっくりと観察しながら今後の進退?を吟味していきたい。□

野暮

江戸っ子です。
だからでもないけど寅さんが好きです。
寅さんは、粋です。
寅さんは、お金が無くても、旅先で会った若者に「うまいもんでも食いな」と財布からお札を取り出してぽいと渡してしまう。相手の素直さや健気さに共感してしまって、自分のことをすっかり忘れて他人を応援してしまう。
江戸の人間にとって、粋と野暮という考え方はとても大切に体に沁みついています。
粋であることに憧れます。粋になれなかったとしても、野暮だけはなんとしても避けたいと思います。

職場の宴会があります。
100名くらいで実施する規模の大きな宴会です。
僕は幹事をやっていて、恒例で組織長から、部長、課長、一般、新人という順に費用の傾斜をつけてメールで案内するのですが、今回は組織長からメールが返ってきました。

「費用が高すぎないか?
 昨年は我慢していたが、組織長というだけでとりすぎじゃないか」

びっくりしてしまいました。
これまで長く幹事をやってきましたが、こういうメールをもらったのは初めてでした。
他の幹事メンバーと相談して、数千円を差し引けるよう調整し、謝罪メールを返信しました。
でも、幹事メンバーのはらわたは煮えくり返っていました。
組織長たるもの、多くの給与をもらっているでしょうし、日日実務でがんばっている部下にねぎらいの気持ちも込めて、多めに出すというのが、少なくとも日本の社会の見えないルールというか、エチケットみたいなものだとずっと思っていました。
粋とか野暮とか以前の、常識として。
以前の組織長は、同じような宴会で「それで足りるのか」と聞いてこられて、更にお金を出してくれようとする方もいました。もちろん、気持ちだけもらってお断りしました。

幹事の一人が別のところから聞いた話では、以前も同じような事があったとのこと。
若手が何か仕事で成果をだしたとかで、組織長と宴会をやったときも、最後に「割り勘」と言われたというのです。
若手はまだ給与が少なかったりするわけだし、ましてや何かの成果をだしたというお祝いならば「今日は僕が全部出すから」と言ってあげないと。と思うのです。
今回の件は、あっという間に部署の人たちに広がって行きました。
たかが一度の数千円、数万円を惜しんだだけで、部下たちの組織長への価値が大暴落を果たしてしまった。
本人は、これまでの人生で、いっときの吝嗇がこういう結果になることを全く気付かずに生きてきたのだろうか。
野暮にもいろいろありますが、野暮の地雷を踏みちがえると、えらいことになるのです。

ぼくらはまだまだいろいろなことを学んでいかなくてはいけないようです。

人生、やっぱり粋に生きたいよね。□

時代の表現

先日、市の美術協会の会合に参加した。
今年で美術協会は70周年を迎えるということで、記念の企画がされていると発表があった。
昨今の若い人たちの美術離れを危惧して、まずは楽しく描いてみようという「大人の美術教室」を定期開催するらしい。
確かに、美術業界の若者離れというのは顕著です。
だって、ぼくが最年少というくらいだからねぇ.....。
たまに若い人が出品することがあっても、翌年にはもう出品してこない。
一度入選できたことで満足してしまったのか、他に魅力があることを見つけて去ってしまったのか.....。とにかく続かない。ようにみえる。

でも、この現象を「今の若い人には継続する力が無い」と決めつけてしまうのはどうかと思う。

要するに、時代なんですよね。

ぼくらの時代には、美術と言う表現手段が、最適な表現手段だっただけで、今は今で、また別の表現手段が出て来ているだけだと思うのです。
今の若い人は、今の時代にふさわしい表現手段を見つけて、そこでがんばっている。
どんな時代でも、若い人は、必ず溢れた力を持っていて、その時代に最もふさわしい表現のフィールドで、それらの力を発揮していると思うのです。
ぼくらの時代では常識だったものを、今の若い人たちに教え込んだところで、正直なところ、もどってくることはないと思います。
ぼくらは偏った見方をせずに、彼らが見つけた新しい表現手段の作品を楽しく眺め、応援してあげたらいいと思うのです。

でもまぁ、確かに美術界から若い人が消えていくのを放っておくのもまたしのびない気持ちがあります。
「大人の美術教室」を否定するつもりはありません。やったほうがいい。
描くことの楽しさを伝える、ということが達成できたら、将来に何か効果は出てくるかもしれない。

描く楽しさが一番伝わると僕が思っている、顕著な例はEテレで放送中の「デザインあ」のコーナー、「デッサンあ」をやってみたらいいと思っています。
真ん中に、獅子舞やらボクサーやらモデルを立たせて、360度からみんなでモデルを描くのです。そして出来あがったデッサンをお互いに見せあう。

 


とてもシンプルな企画なんだけど、みんな同じモデルを見ているのに、それぞれ全く異なる感じ方が線に出ていて、描くこと、見ることの楽しさ、美しさを一番感じることができるのではないか。と思うのです。

ただ手を動かすのが楽しい。そう感じてもらえることが一番重要なのかなと思います。
まずはそこからかな。

 

僕は「デッサンあ」に参加してみたい。どうやったら出られるのだろう。□