紀土 純米大吟醸 精米歩合四十五
(和歌山・海南市/平和酒造株式会社/評価:7点)
「キド」ではありません。「キッド」と読みます。
チャップリンも飲んだ日本酒です。嘘です。
思った以上に辛くて、うまい。から、うま!です。
紀州のお魚をいただきながら一杯やりたくなる銘酒です。□
今ここに有るものだけを数えること。
今ここに無いものは数えないこと。□
「知人なんだから絵を無料でくれないか」と言う人がいる。
誰もが何らかのビジネスの世界で生きているはずです。
それが無理であることを想像できないのが不思議で残念です。
鮨屋の親友がいて、親友だから無料にしてくれ。と言えますか。
家電を作ってる親友がいて、親友だから無料でテレビをくれ。と言えますか。
絵画だろうとそれとまったく同じです。
絵画にも社会的な位置づけがあり適正価格がつくのです。
親友だろうと親族だろうと無料にすることはできません。
(なんらかの特別な事情がある場合は別ですが)
お金が欲しいわけではありません。
そもそも絵なんて売れるものでは無いし、売れることを期待していたら
ちっとも売れない現実を知り、すぐにやめてしまうでしょう。
僕はただ「お金を払ってでも欲しい」という人に作品をお渡ししたいのです。
自分が一生懸命働いて手に入れたお金でわざわざ絵などを買う人は
きっとよほど気に入ってくれて大切に想ってくれたということだと思うのです。
無料で欲しがる人は本当の絵の価値など感じてくれていないのだと思います。
「無料だから」という理由で3日で飽きて、
「邪魔だから」という理由で即、ゴミ箱行きでしょう。
難しいことだとは思いますが、
そんな人にも価値を感じてもらえる作品をいつか作りたいと思っています。□
僕には何名か大好きな作家がいます。
新作が発表されると連絡を受ければ、
可能な限り、新幹線に乗ってでも会いに行きます。
どんな作品を作られたかが気になって仕方がないのです。
そして作家自身にも会って舞台裏の話を聞きたいのです。
少しでもその作家から何かを吸収したいと願っているのです。
作家と鑑賞者の関係はこういうものでありたい。あるべきだ。
展覧会の案内に対して、
「不義理ですみません」
と来場できないお詫びをいただくことがあります。
でも絵を見るという行為は「義理」であるべきではない。
友人・知人だろうが、知らない人であろうが、
「彼が今どんなことをしているか気になって仕方がない」
といわれるような作品を、作家は作らなくてはならない。
僕らは「義理」に費やすような時間を持つほど暇ではないのです。
もし展覧会会場に「義理」で来てもらったとしても、
ただ申し訳ないという気持ちだけで胸が苦しくなってしまう。
自分にとって本当に大切なものに「本命」にこそ注力すべきであり、
また他人にとっての「本命」に自分はならなくてはいけないと思う。
義理よサラバ。□
ドラゴンクエスト3の社会現象や
スーパーファミコンの人気沸騰。
そんな時代にいつも自分は受験とやらを抱えていた。
優等生気取りの自分は、このヤマをのりこえるまで!
などと自己を戒め、ゲーム一切を封印して勉強を優先
させてきた。今に思うのだが、むしろ封印などせず、
ほどほどに学び、ほどほどに遊んでいたとしたら、
きっともっといい高校や大学に入れたのではないか、
と思っている。たぶんそれは正しい。
僕はきっと勉強そのものを頑張りたいというよりも、
世間から見える自分をただ真面目な人間に仕立て
上げたかっただけだったのではなかったかと今思う。
なんとナンセンスな虚栄心....。
誰も期待していないことに拘り、無駄なエネルギーを
注ぎこみ、見返りを得るどころか、むしろどんどん、
世間の目から離れて行ってしまう。
そんなことを繰り返してきた今。
自分は一見、一般社会の中で涼しげに生きているように
見えながら、実は社会の目からかなり離れた辺境で、
生きていかざるを得なくなってしまっているように思う。
無理をしてきた。無理をしている。
本当はそんなに社会に未練はないはずなのに、
テレビゲームをしたいという自らを封じ込め、
社会に阿り、媚びる生き方をしぶしぶ選択している。
もう無理な自分、やめにしませんか。
そう自分に言い聞かせ、
個展準備に追われる中SWITCHでゼルダに堂堂と勤しむ。
これが僕の20年の成長です。小さくて大きな成長です。□
今回の個展では、
自分史上最大の作品162cmx500cmを展示してみました。
会場への作品搬入時に、トラック運転手のおじさんが、
壁際にならべた本作をみて「わーっ」と声をあげました。
思わず「にやり」としてしまった僕。
ぶっちゃけいうと本作は何が描いてあるかは関係がなくて、
とにかく大きい!という作品を展示することで、
絵画はよくわからん!という人にも、なんだかすごい!が
伝わったらよいかと思っていたのです。
以前おとずれたボストン美術館展にて、
あまり美術に関心のなさそうなおじさんが、
曽我蕭白の巨大な龍の襖をみて「こらすげえ値打ちや!」と
叫んでいたのが記憶に残っていて、
今回、とにかく細かいことは抜きで初見のインパクトを
作ることを強く意識しました。
美術に関心の無い人も少しでも関心をもってもらえたらいいと
想っています。□