やりすぎニッポン。

チケットキャンプが崩壊した。

椎名林檎UNICORNを追い続けている。

だが昨今のチケット争奪競争には、
ほとんど勝てたためしがない。
ライブは数年に一度のことである、
取れなければチケットキャンプでも
オークションでも、他の手段を駆使して
チケットが取れたらいい。と考えていた。
そこに来てのチケットキャンプの崩壊。
これはなかなかの大ダメージであった。

先日、桑田圭祐の京セラドームライブにて、
入場券を提示したときのことだ。
「身分証明書をご提示ください」
「.........!?」
そんなものは持ってきていない。
チケットの転売の転売が繰り返される中、
チケットと購入者の紐付けが徹底され、
ついに本人確認が実施されるところまで
来てしまったのであった。

チケットキャンプの崩壊はこんなところに
原因があるのではないか。
販売したチケットで入場できないファンの
クレームが殺到したとか...?

............つまり、これからは完全に「籤運」に
頼ってだけしかライブに行くことができなく
なってしまうということである。

個人的には、これまで売る側も買う側も
互いに満足してWIN-WINであったのだから、
放っておいてくれ。という気持ちで一杯
なのだが。
日本の、なんでもかんでも規則でしばり、
全てを見える化し、自らをも追い詰めていく
この「やりすぎの民族性」に呆れることがある。

少なくとも、今はそう考えている。

将来、この方策でテンバイヤーが激減し、狙い通り、
善良な市民たちに順当にチケットが回る世界が
やってくることを心から願う。
(だいたいそんな風にうまくいかないのも日本)□

平日の水族館

平日の京都水族館は閑散としていた。

休日であれば家族連れやカップルで
溢れかっているといわれる大山椒魚
水槽の前に座り込みスケッチを始める。

土の塊が幾層にも重なったように見える。

ほとんど動かない。ただ、生きている。

時折、下の層からゆっくりと水面近くまで
息継ぎをしに浮上するものがある。

他の客が水槽の前で足を止める。
不思議な目で山椒魚を見て、
不思議な目で僕を見る。
そしてすぐに次の水槽へ去っていった。

僕が山椒魚を「時間に取り残されたもの」
としてみるように、
他の客も僕を「時間に取り残されたもの」
としてみていたかもしれない。

でもほんとうの「豊かさ」とは、じつは、
こういう時間の中にこそあるのではないだろうか。□

進化

ほぼ日手帳を使い始めてから、
ずいぶんと長い時間が経つが、
使うほどに「使い方」に磨きが
かかっていくように感じている。
初めて購入したころは、ただの
メモ帳としてくらいしか使って
いなかったように思う。
だが、長い時間をかけゆっくりと、

「振り返れるもの」であるべき。

「読み直せるもの」であるべき。

「自分の分身」であるべき。

という考え方にシフトしていったと
感じている。
転じて、業務を進めるスタイルや、
業務に使用するツールといったものの
多くも、実は、始めた直後には自分の
体に馴染むことは無く、むしろ長い
時間を経てこそ、磨かれていくもの
なのだと実感しはじめている。
そして、手帳の使い方を磨くことが、
自分という人間を磨くことに直結
しているように感じる。
日々の「やり方」「スタイル」「ツール」
を磨いて、自分自身の輝きにつながれば
いいと思う。□

セットリスト

茨木美術研究所忘年会カラオケ、

たかがカラオケのセットリスト。
されどカラオケのセットリスト。

1.また逢う日まで
2.冬のリヴィエラ
3.あの素晴らしい愛をもう一度
4.夢の途中
5.島唄
6.襟裳岬
7.あの鐘を鳴らすのはあなた □

1つの道

仕事で帰宅が遅くなった晩、
近所の中華料理店で外食した。

夕食には遅い時間で、客足も引き始めていたためか、
隣の席でビール片手に飲む三人組サラリーマンの
声がやたらと耳に入ってくる。

おそらくこの界隈で仕事をする人間ではない。
出張か、何か一時的な仕事でこの界隈に来たものと
思われた。

3人の会話にはm職場の仲間や上司、仕事の内容に
関する話がちらちらと出てくるが、どういった仕事を
しているのかはどうしても聞き分けられなかった。

3人は酒が空くと、生ビール4つを注文した。
誰かが2杯飲むのか?と思っていたら、5分ほどして
新たに1名が入店してきた。
彼の分を先に注文していたのだった。
席に座ると即、乾杯。段取りのいい3人組である。

彼らは全く知らない4人であったが、
ふとこんな考えが頭をよぎった。

もしかしたら自分はどこかで彼らと接点を持つことが
あったのかもしれない。
現在の仕事のきっかけで大阪へ来ることになったが、
もし学生時代に東京での仕事を選んでいたら、自分は
今の大阪での知り合いの誰一人とも接点を持たずに、
一生を終えたことだろう。
だが、あのときもし自分が大阪に来なかったとしても、
大阪の知人たちは、確実にこの世界に実在し、生きて
いるのである。
逆もしかり。自分が大阪に来たせいで出会えなかった
東京の知人たちも今、僕と出会う機会を失いながらも
必ず東京で生きているのである。

人生の分岐によって、我々の人生、出会いは、
常に変わりながらも、選択されなかった世界の現実も、
必ずそこに実在していて、間違いなく人が生きている。

つまり、僕らは無限にある人生の可能性を持ちながら、
実際に見ることができるのは、どうあがいても、
たった1本の道しかないのである。

この人生で会えなかった、会えないであろう無限の
可能性を想いながら、この1つの道を生ききりたいと願う。□