1つの道

仕事で帰宅が遅くなった晩、
近所の中華料理店で外食した。

夕食には遅い時間で、客足も引き始めていたためか、
隣の席でビール片手に飲む三人組サラリーマンの
声がやたらと耳に入ってくる。

おそらくこの界隈で仕事をする人間ではない。
出張か、何か一時的な仕事でこの界隈に来たものと
思われた。

3人の会話にはm職場の仲間や上司、仕事の内容に
関する話がちらちらと出てくるが、どういった仕事を
しているのかはどうしても聞き分けられなかった。

3人は酒が空くと、生ビール4つを注文した。
誰かが2杯飲むのか?と思っていたら、5分ほどして
新たに1名が入店してきた。
彼の分を先に注文していたのだった。
席に座ると即、乾杯。段取りのいい3人組である。

彼らは全く知らない4人であったが、
ふとこんな考えが頭をよぎった。

もしかしたら自分はどこかで彼らと接点を持つことが
あったのかもしれない。
現在の仕事のきっかけで大阪へ来ることになったが、
もし学生時代に東京での仕事を選んでいたら、自分は
今の大阪での知り合いの誰一人とも接点を持たずに、
一生を終えたことだろう。
だが、あのときもし自分が大阪に来なかったとしても、
大阪の知人たちは、確実にこの世界に実在し、生きて
いるのである。
逆もしかり。自分が大阪に来たせいで出会えなかった
東京の知人たちも今、僕と出会う機会を失いながらも
必ず東京で生きているのである。

人生の分岐によって、我々の人生、出会いは、
常に変わりながらも、選択されなかった世界の現実も、
必ずそこに実在していて、間違いなく人が生きている。

つまり、僕らは無限にある人生の可能性を持ちながら、
実際に見ることができるのは、どうあがいても、
たった1本の道しかないのである。

この人生で会えなかった、会えないであろう無限の
可能性を想いながら、この1つの道を生ききりたいと願う。□