愛ちゃん

制作がうまくいかなかったときは、絶望的な気持ちになる。

毎日限られた小さな時間で制作をしている。

失敗をしたら引き戻しにまた大きな時間が必要になる。

失敗はしたくない。

失敗をしないよう、緊張を高めてキャンバスに臨む。

それでも失敗する。失敗ばかりである。やっぱり失敗だ。

ふと、卓球・福原愛選手が、幼い頃泣きじゃくりながら敗北を悔しがっていた映像がフラッシュバックした。

じゃあやめる?と厳しく指導する母親に「やめないで」と泣きじゃくりながら、それでも強くしがみつくのである。

僕の頭の中も、ほとんどそんな感じなんですね。

ちがうといえば、泣きじゃくるということはしていません。大人ですから。ただ頭の中ではころげまわってる。
泣き虫・愛ちゃんとか言われていたけど、わずか4,5歳の幼児が投げ出さずに1つのことに向かっていくんだから、ほんとうにすごいことだと思います。

大人ですら、うまくいかない、とか。見返りが無いとか。幼児の愛ちゃんにも及ばないような、しょうもない理由で簡単にやめちゃったりするんだからなぁ。

頭の中では、いつも泣きじゃくり、転げまわってます。そろそろ成人を迎えた愛ちゃんくらい、しっかりしないとなぁ。□

 

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バトルロワイヤル

みんな条件は同じです。

みんな、1日は24時間です。
みんな、時間がありません。
みんな、眠い。
みんな、何かしらの才能があります。

仕事がうまくいかない理由を「条件」のせいにしている声をよく耳にします。
そういう僕も、よくぼやきます。
彼らのように、もっと時間があったら。もっと才能があったら。もっとぐっすり眠れていたら。
華やかな仕事をしている人をみて、彼らには仕事を優位に運ぶ条件があったのだとぼやくのです。
でも、そんなことは無いのです。たぶん。
彼らも、条件はほとんど同じなのです。
そのなかで少しでもいい仕事をしようともがいている。
きつい条件であっても、より尖った成果を出す。そういう人がいい仕事をしているのです。

毎日、誰もがとても苦しい。
でもここが共通の出発点であり、みんな同じ条件で、同じリングの中にいます。

華やかな仕事をみたときは、うらやむのではなくて、同じ条件でもこれだけがんばってるやつがいる。同じ条件でもこれだけ差をつけられてしまった。と自責として、自らのみぞおちの真ん中で受け止めたいと思うのです。□

センチメンタル

楽曲をネットで買うというスタイルが一般的になってきている。

僕もいつの間にかネットで曲を買うようになってきているけど、なんだか、以前より音楽を聴かなくなってきているように感じています。
気軽に手に入るのはうれしいんだけど、ジャケットも、歌詞カードも無いからだろうか。
手に入れただけで満足してしまって、数回聞いたらもう次の曲に興味が移っちゃっている。ような気がします。やっぱり「かたち」というものは大事なんじゃないかなぁ。と思います。

音楽がCDのみで売られていたころは、コンポにCDが入りっぱなしになっていて、何度でも「再生」ボタンを押して、1曲目から最後まで、まさにCDが擦り切れるまで(擦り切れません)、繰り返し聞いていたように思う。
アーチストとしても、1枚のアルバムとして、どういう順番で楽曲を配置して、全体でどのようなテーマを埋め込むかということを考え抜いて作っているわけだから、あのころは、作り手と聞き手の対話がしっかりできていたように思うのです。
でも、昨今デジタル販売でCDを買うようになってからは、好きな曲から聴く。とか、好きな曲しか聞かない。ようになって、アーチストが思い描き、作りこんだアルバムのテーマを味わうことを、さぼりはじめているように思うのです。

CDよりさらに昔にさかのぼれば、LPレコードですからね。頭出しなんてできません。レコードの先頭に針を落とし、1曲目から最後まで聞きこむしかないわけです。
とても傷つきやすい媒体で、面倒も多かったけれど、ジャケットも大きくて迫力があったし、一番音楽を楽しく聞けた時代だったんじゃないか、と思うのです。

時代ですよね。どんどん便利になっていくこともとても嬉しいことですが、古いものとお別れする切なさのようなものも確かにあって、センチメンタルな気持ちになります。
たぶん、アーチストもレコードやCD、歌詞カードに思いを込めて届けていた時代にお別れをすることにセンチメンタルな気持ちになっているのではないか。

そもそも、ものぐさになったのは、音飛びするコンポを修理しないで放っているからかもしれない。
宇多田ヒカルのニューアルバム「初恋」が出るまでにはコンポを修理しよう。

 


そういえば、ゲームセンターからアーケードゲームが消えてクレーンゲーム専門店になっていったことも、センチメンタルだなぁ。□

センスのカルテット

宇多田ヒカルが真っ白な雪原を走り回っている。

なんだなんだ?!とそれだけで目が釘付けになるのだが、さらにその映像に新曲「Play A Love Song」が乗せられている。
わずか15秒、30秒程度のサントリーのスパークリングウォーターのCMだったのだが、瞬時に目を奪われ、映像も、楽曲も、そして商品のことも全てが同時に、脳に強く焼き付けられてしまう。

スパークリングウォーターをどうやって知ってもらうか、買ってもらうか。というCMとしての本分を全部捨てちゃっていて、商品のことは、まるで宇多田ヒカルの新曲のプロモーションの「ついで」くらいになってしまっている。
それなのに、一般的なタレントを呼んで作りこまれたようなCMに比べても、圧倒的な差をもった「価値のあるCM」になってしまっている。直接語らずに、本質を語りきってしまっているというか。すべてがWINWINのわずか数十秒の映像コンテンツ。

宇多田ヒカルという存在自体のセンス。
楽曲のセンス。
映像のセンス。
それらを融合して語らないCMを作ってしまった制作者のセンス。
センスのカルテットだ。

まったくもって恐れ入ります。
ほんとにどこをみてもすごいものがあふれているよなぁ。ニッポンも。セカイも。□

 

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歳をとってる場合じゃない。

世の中の多くの人々のお困りごとってやつは、もうとことん根絶やしにされているのだな。と思うことがあります。
もちろんまだまだ複雑な人類の課題は残されていますが、ちょっとした「あったらいいな」くらいのものはもうたいてい「ある」のです。
僕の場合、課題があったとしても「あったらいいな」と思う前に「そういうものなんだ」と無意識に自分に言い聞かせてしまっていて、耐えることに決めちゃっていることが多い。
良く言えば、辛抱強い。悪く言えば、面倒くさがり。


5月の連休に、大雨の長崎を歩いていたとき、靴に雨が浸み込んでぐしょぐしょになりました。
「防水スプレー使わんのか」と一緒に歩いていた先生に指摘された。
そのとき初めて防水スプレーというものがあることを知ったのです。
雨の日の靴は濡れるものと思い込んでいたけど、すごい道具はすでに開発されていたのでした。使ってみてあらびっくり、雨が全く浸みません。すげー。


ワイシャツの襟の汚れが洗濯をしても落ちない。
ワイシャツは汚れるものだ。着こんで古くなったら捨てたらいい。と思っていたけれど、こちらにも襟専用の洗剤というものがあるということを教えてもらいました。スティックのりタイプの洗剤で、洗う前に襟に塗りこむのです。
襟はまるで新品のように綺麗になったのでした。
ここにも、とっくにすごい道具が開発されていたのでした。


そしてライトボックス
学生の頃、漫画を描いていたときから使い込んでいるライトボックスを今も愛用しています。
箱の中に蛍光灯が入っていて、原稿をトレースすることができるのですが、これがなかなかごっつい。B4サイズくらいだけど、蛍光灯が入っている分、10cmくらいの厚みがあって、なかなか重い。
もう漫画は描いていないけど、絵画制作にも下絵をトレースしたりするのにずっと使っているので、さすがにそろそろ新しいものを買おうと調べたのですが。
...........もう時代はLEDなんですね。薄いです。8㎜くらい!しかも明るい。そして、A2サイズの大きさ。制作が、いっきに楽しくなるくらいの進歩がここにもあったのでした。


たぶん、他にも無意識に諦めている僕にとっての「小さな我慢」という程度の事は、たぶんほとんど解消されちゃっているのだろうね。
世の中が求めているお困りごとってのは、もう複雑で難しいものしか残されていないようです。
ものづくりは、これまでのものづくりに連続した機能拡充では、世の中の人はついてきてくれないのだろうなぁ。
まぁ、それでもイノベーションに終わりはないと考えます。

いままでの不便だったところや課題が解消されたことで、効率が向上しているのだから、そのぶん、より複雑なものを作りやすくなってきているのだろうと思います(ますますたいへんだけど)。

僕たちは、あたらしいものを取り入れて、あたらしい時代のものづくりに立ち向かっていかなくてはならないのだろうな。まだまだ歳をとっている場合じゃない。□

スイカに塩

もともとは、褒めるときに使う言葉なんだけど、
実際には、とがめるときに使われる言葉がある。

「優等生」という言葉は、もともと成績がよくスポーツも万能。といった「優秀な人」を指すはずだけど、
絵描きが「優等生」と言われたときは、たいてい「考えすぎていて絵が全く良くない」とか「画一的で全然おもしろくない」という意味になってしまう。

逆に、

「いかれている」と言う言葉は、もともと狂っているとか、頭がおかしい。という意味のはずだけど、
絵描きが「いかれている」と言われたときは「すごい!」とか「COOL!!」といった賞賛の意味になるのである。

最近になって「相当いかれてる」と言われることがあって、すごく嬉しかった。やっとわかってきてくれるようになったか。と(笑)。この「いかれ具合」に作品の質がついてくるようになるとしめたものなんだけどなぁ.....。

「やだぁ、かわいい~」と叫ぶ女の子は、嫌なのか、好きなのか、よくわからなくなる。いったん否定することで、肯定の意味を強めたいのでしょう。

イカに塩かけるのも同じようなものか。□

今日の日本酒

農口尚彦研究所 山杯純米酒 無濾過生原酒2017
(石川県・小松市/野口尚彦研究所/8点)

農口尚彦復活!「農口尚彦研究所」公式ウェブサイト

 

うわさの農口尚彦研究所のお酒をついに手に入れました。
「~酒造」ではなくて「~研究所」と名乗るところに、他にはないこだわりや、センス、ブランド力を感じて、是非味わってみたいと思っていました。

第一印象は「とがっていて、辛い」です。嗤っちゃうくらい、辛くてシャープでした。
でも生だからか、少しずつ飲んでいると1日ごとにだんだん丸くなって、飲みやすくなってきました。そんな過程も含め、楽しいお酒だと感じました。
だれかに贈りたくなるお酒ですね。
誰か個展しないかな。おみやげにもってったら結構、粋です。
紹介したくてうずうずしてるwww。□

 

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