今日の一冊

パラレルワールド・ラブストーリー」東野圭吾著 講談社文庫(5点)

f:id:massy:20190308230344j:plain

毎朝並走する列車同士で出会い、目を合わせてきた見知らぬ者同士の男女。
最後の日に告白の機会を逃して失望する崇史だったが、しばらくして親友・智彦が連れてきた彼女が、毎朝電車で出会っていた女の子・麻由子だった。


「男は人生で3つの大きな恋をする」

1つめは、初恋。恋の免疫をつけるための、はしかのようなもの。
2つめは、セカンドラブ。今度こそは!と燃えあがる恋。
3つめは、生涯の伴侶となる大切な女性との恋。

いつか誰かが言っていた。まったくその通りです。

当然、3つめの恋にたどり着くまでには人生の三大悶絶とも言える「大失恋」を経なくてはならない。
失恋は苦しい。
一歩間違えたら犯罪にもなりかねないような狂気が芽生えることもあるが、そんな狂気が犯罪や事故となってさほど明るみに出ないのは神様によって人間が絶妙に作られているとしか思えない。

パラレルワールド・ラブストーリーの主人公・崇史が親友の彼女である麻由子に抱く恋心の壮絶さはそんな恋の苦しみが、リアルすぎるほどなまなましく描かれている。
きっと著者の失恋なども取り入れているのではないか。
自分の仕事やチャンスを全て棒に振ってでも。親友を裏切ってでも。彼女を手に入れるためにまっしぐらに突っ走る崇史。
恋をしている。失恋をした。なんて言葉は世の中ではどこからでも聞こえてくるが、その一言に封じ込められた苦しみがこれでもかとリアルに描き出されている。


!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 注意
 ここから下は結論にふれますので、
 これから読む人は決して見ないように!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語は「麻由子が親友の彼女であるという現実」と「麻由子が崇史の彼女であるという現実」が交互に、まるでパラレルワールドのように描かれるが、読み進むうちに実はパラレルワールドではなく、1本の時間軸上の話であることがわかっていく。
二つの世界の中間点にSFの仕掛けが組み込まれていて、そこここにちりばめられた謎がラストで種あかしされ一本につながるのである。

本当はそこで驚愕するということなのだろうけど、個人的には、SFのトリックよりも、三角関係の苦しさが物語の中心になっていると感じた。
SFによって本格ミステリの醍醐味が薄められてしまっているように感じました。
種明かしの前までは8点だったけど、ラストに向かうにつれて5点になりました。□

千成寿司

淡路に名の知れた寿司屋あり。

ずっと頭の片隅にその寿司屋の名前が残っていました。
その名を聞いてから5年くらい頭の中で温めていた。
ようやくその時が来たということだったのでしょう。
まるで太陽系の惑星が一直線上に並ぶようなタイミングで「そうだ、千成寿司行こう」という展開になった。
ダメもとでこれから17時に行きたいと電話してみたら、「今シャリを炊いているので17時15分からならば...」という回答。更に、次のお客さんの予約があるから19:00までという制約もついた。
.....2時間弱。たぶん絶対に時間は足りないことになる。鮨屋に行くなら3時間は欲しい。
でも、今日を逃したら次に来られる機会はまた次の天文学的な時間を待たねばらならないことになるだろうと確信していたので「お願いします」と答えた。

淡路は不思議な町だ。前に来たのは10年くらい前だったろうが、やっぱり時間が止まっていた。ここはずっと昭和のままだ。阪急快速が止まる要所でありながら、なぜここだけ時間が止まっているのか。それはわからない。JR淡路駅ができるとのぼりが出ていたが、特別な華やかさはなく商店街は静かである。
空き地を抱える小さなアーケード商店街を抜けてすぐに千成寿司はあった。風に吹かれ、大きくたなびいている暖簾をくぐる。

f:id:massy:20190303171713j:plain

店内は、コンクリートがむき出しになったようなシンプルな空間に、カウンターのわずか7席。まだお客さんは誰も来ていない。内心「キターー!」と叫びながら、上機嫌でいちばん端の席に座る。

先ずはビールを頼む。メニューは無い。大将と話して、お刺身やおつまみ、握りをいれた1万円のコースをお願いした。

粋のいい魚に日本酒・淡緑をいただく。美味しかった。誕生日に秘蔵の寿司。至福の時間でした。

f:id:massy:20190303180132j:plain

ただ、残念だったのはやっぱり時間切れ。
19:00前になると予告通り、次のお客さんが来てしまいました。
あがりをゆっくりいただきながら余韻を楽しむような間もなく、19:00に追い出されるように店を出ざるを得なかったのは本当に残念でした。
あと、最後にお椀やら水物も出てほしかったなぁ.....。
僕の中ではそこまでで鮨屋として1万円という大台を共有できるのだと思うのです。

でも、やっぱり鮨って最高です。
ばくばくとお腹いっぱい食べるのではなくて玉に背筋を伸ばして最高の物をゆっくりいただくくらいが丁度いいのではないか。

ごちそうさまでした。□

sennarisushi.com

新元号予想

いよいよ平成が終わります。

新しい時代がやって来ようとしています。

元号が変わります。

元号が変わるなんて人生でも2~3度です。

「平成」のときは、昭和天皇崩御されてすぐに発表となってしまったので、新しい元号はなんだろう?なんて考える暇もなかったけれど、今回は違います。
平成天皇の退位が発表されて充分時間もあり、新しい元号は何か?とそこここにささやかれ始めています。

まるで自分の息子に名前を付けるかのような気持ちで、
これからやってくる新しい時代に名前を付けてみる。

当たるに越したことはないけれど、はずれても、これはなかなか面白いトライアルじゃあないか。........というわけで最近は時間があるたびに「次の元号は何か?」に思いを馳せています。

今日はこの場をかりて、僕の予想を書いてみたい。

 

まず新元号の条件としては以下のようなものがあると思ってます。

・ 誰でも書ける簡単な文字であること

・ 明治、大正、昭和、平成をローマ字で書いた時の頭文字
  M、T、S、Hは避けること

・ 固有名詞になりやすいような文字の組み合わせを避けること

そしてこれまでに登場した247個の元号はこんな感じ。
もちろんこれらはもう出てきませんよね。

f:id:massy:20190306010950j:plain


こんな条件を踏まえつつ、さらに僕としては、簡単で、容易に想像もつかない言葉とするために、まず1文字は、簡単で書きやすい文字。そしてもう1文字はこれまで使われた事も無い文字、容易に想像できない文字。で構成されてくるのではと考えています。

まず簡単な文字としては、例えば、和、上、元、明、平、大、正、天、化、治、安、永、智...などを考えました。
そして、もう1文字のなかなか想像もできない文字ですが、これが難しい。

僕は簡単でありながら読み方がわからない文字を探しました。
例えば、読みにくい地名で使われている漢字、例えば「砧」とか「駛」とか。
でもそれらしい漢字は見当たらなかった。
そこで今度は「部首」を調べました。
部首は漢字の支えとなる部分です。シンプルな部首だけで漢字として成立しながら普段はお目にかからない文字が無いかと調べていきました。
すると一つの文字が目に留まりました。
「邑」です。
みやこの意味があり訓読みでは「むら」ですが音読みでは「ゆう」と読みます。
ローマ字ではY。使われていない。音としてもかっこいい。
これだ!!!!!と思いました。

そして僕が出した結論は、こうなりました。

 

 

 

 


「邑智」(ゆうち)

 

 

 

 

我ながら、素晴らしい元号だと思う。
多分はずれるだろうけど、なんだか息子に素晴らしい名前を付けたようでとても清々しい気持ちになりました。
みんなの予想も聞いてみたいなあ。1文字でも当てたら大したものだよね。

さあて、4月1日がまちどおしいね!

 

追伸:部首として「而」もあるかなと思いましたが。
   往生際悪いから「邑」でいきます。www□

ムキになる人。

 

「おれ、なんで走ってんだろう......?」

 

かつて一緒に仕事をしていた同僚がふと漏らした一言です。
とても優秀な同僚でした。
15年くらい前のことなのに今なおその言葉を鮮明に覚えているんです。
確か納期が迫っていて、急がなきゃ!と思い込んで、無意識に走っていたのでしょう。
でも、後で振り返ってみると、走ろうが、歩こうが、結局納品には大差など無かったのです。彼はそのことに自分で気が付きました。

急いでいる人は普段でもよく目にします。
例えば朝、赤に変わろうとする横断歩道の信号をダッシュして渡りきろうとする人(それは僕だwww!)。
でもその横断歩道を渡りきれたからと言って、いったいなんだというのだろう。
走っているときは、なにかとても大きな喪失をまぬかれるかのように思い込んでいるけど、そんなのは高々5分程度の差でしかない。
例えばもし、そのせいで遅刻して叱られるというのならば、もう歩いても走っても遅刻ですよ。そもそも走らなくてはいけないほどのぎりぎりに自らを追い込んでしまった自分のせいです。
その状況を受け入れて、歩いてしまった方が、心も平穏だし、変な事故を招く事も無くてむしろ安全だったりします。

 

結構、ぼくらは無駄なところに不要なエネルギーを使っているなと思うことがあります。

「ムキになっている」ということなんでしょう。

遅刻するといって走る人。もう走っても遅刻なんだからもう歩いた方がいい。

アクセルを踏み込んで突っ走る車。たかだか数分程度の差です。むしろ危ない。

 抽選があると走る人。走っても歩いても結果は変わりません。

それでも、実は必要なところにはエネルギーが使われていなかったりする。
本当に大切なことは信じられないほど手を付けずに放っておかれたりしている。

どこに力を注ぐか。どこを慌てるか。

慌てるほどに、冷静になって考えてみたい。それほんとうに慌てるべきところ?□

今日のせつない

春といえば「卒業」。

「卒業」のせつなさってのは、日本遺産なのかもしれない。
日本人に限らず、人間ならば卒業のせつなさってのは誰にでもあるのかもしれない。
それでも日本人が歌ってきた春のせつなさ、卒業のせつなさってのは間違いなく日本遺産だと思います。

幾多ある日本の春の名曲の中でも、柏原芳江の「春なのに」は刺さりますね。
久しく聞いていなくてもこの季節になると勝手に頭の中でヘビーローテーションかかってるからね。

でも中島みゆきがセルフカバーしたバージョンはもっと好きなのです。
アルバム「回帰熱」に衆力されてます。
これは刺さります。
柏原芳江が針ならば中島みゆきは槍か。(たとえが悪いね)。

はー、せつない季節だね。春ってやつあ。□

春なのに

春だ。

また春が来た。

春の事なんてすっかり忘れてしまっていたのにさ。

せつなさという名の蜂にちくっと刺されて思い出すんだ。

ああ、また春が来ちまったって。

ずっと一緒にいられると思っていた。

でもずっとなんてない。

どんなものにも終わりがやってくる。

職場の親睦イベントの幹事をつづけて10年にもなろうか。

かつて新人歓迎会で迎えた新人は、

やがて幹事になりこちら側にやってきた。

そしてこの春、あっという間に幹事を卒業して去っていった。

ずっとここにいる自分は人魚の肉を喰った「なりそこない」みたいだ。

でも僕はそんな春が、3月が一番好きなのである。

寒さと暖かさが静かに振幅しながら競い合い、

少しずつ暖かさに軍配が傾いて行くその気配が。

同時になにか大切なものが去って行って、また

新しいものがやってくることを予見させる気配が。

柏原芳江が頭の中で繰り返しこだましてます。

 

誕生日です。あー、また歳とってしまったぜえ....Z!!□