秘密の部屋

職場の図書室で資料を探していた。

古い雑誌・書籍は地下の書庫にあります。とある。

このビルに地下なんてあったんか....。

このビルの地下の存在を初めて知った。

大変古い建物である。
先輩の先輩の、そのまた先輩のころから、建て増しに次ぐ建て増しが繰り返され、さらにもう一丁耐震工事やらも入って、今やハウルの動く城のようである。
この建物には、未だに入った事も無い部屋や、未知の場所がまだまだ隠されているのである。もしかしたら開かずの間なんてものも.....。そんなことを考えると、ちょっと怖くなってくる。

エレベーターで地下へ下り、左に出てから廊下を回り込むと、地下書庫があった。

真っ暗である。部屋に入るとセンサーで照明が点灯したが、点灯したのは手前のみ。奥の方の照明は暗いままだ。当然誰もいない。

部屋の広さは20畳くらいだろう。高さ3メートルくらいある書棚が歩くのもままならないほどの近さでみっしりと部屋を埋めつくしていた。

どこからか不気味な振動音が聞こえてきている。天井を見ればパイプが縦横に走り、謎の液体が激しく流れる音が聞こえてくる。........怖い。
きっとこの部屋はかつての実験室か何かで使われていて、書籍を保管するような部屋ではなかったのだろう。
閲覧されなくなった書籍や雑誌をおいやる場所が見つからず、やむなくこの部屋に押し込んだということだろう。

実際、人なんてめったに来ない。
僕のような余程のモノ好きだけが1日1~2人くらいくる程度ではないか。部屋の不気味さも来館者をさらに退けている原因ではないか。本当にぞくぞくする部屋である。

書棚の角を曲がったとたん、目の前にゾンビが立っていたら.....なんてことすら考えてしまう。まるで実写版バイオハザードのような部屋である。または病院の地下の死体安置所のような.....。いい大人が一人で入っても充分怖い。

探している資料は無事、見つかった。
今回は無事に生きて帰って来られたが、はたして次回はどうか.......(大袈裟)。

身近にありながらもまだまだ知らない場所、知ってはいけない場所?なんてものはたくさんあるのかもしれないね。

 

追伸:古い「暮らしの手帖」のバックナンバーを見つけました。□

青春ブタ野郎。

 

青春ブタ野郎に「イノベーション」を感じます。

 

ヒットするライトノベルの条件は?という、いつか誰かが作ったフレームに当ててみても、しっかり全ての条件を満たしている。

それでいて、単に条件を満たすだけではなくて、理屈を超えた「強さ」が、しっかり作品の中に埋め込まれている。

そりゃあ、ヒットしますって。

インパクトのあるタイトル。

ひととおりの萌えキャラが揃っていて、主人公のキャラクターも芯がある。

主人公・咲太と麻衣先輩たちのスパイスの効いた予測できない言葉のキャッチボールが魅力だ。

そして、咲太と咲太をとりまく仲間達が遭遇する「思春期症候群」と呼ばれる不可解な現象。

やりつくした?!と思われるほど、多くの作品があふれるこの時代に、まだこれほどまでに面白い物語を紡ぐことが出来るのか。と思い知った。

もうだめだ。

枯渇した。

何も出てこない。

......なんて弱音をはいている場合じゃない。

すぐそこにも、ここにも、あそこにも。

身近なところにも金脈はしっかり眠っているのである。

あきらめずに僕も頑張ろう。面白いだけじゃない。そんな勇気すら、もらえてしまう作品なのである。□

 

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言いたいこと。

いいたいことって、

きっとどれも2つか3つくらいなんだと思う。

残りのことも同様のものとして並べられるけれど、

最初の2~3つに比べたら大抵、蛇足なんだよね。

つまりどうしてもいいたいことの2つ3つだけを

見極められたらいいんです。

貰い手は、それだけを手に入れるようにする。

作り手は、それだけをつくるようにする。□

センコロールコネクト

新海誠監督を知ったのは確かNHKのTRだったと記憶している。

だけど、宇木敦哉監督をいつ知ったか。についての記憶はとんとない。

でも、当時の僕は「センコロール」を知ったとき、絶対に観なくてはならない。と察知した。

どちらも個人製作アニメーションというスタイルから出発点としている監督である。

アニメーションの制作は、本当に過酷である。
物語のプロット、脚本、絵コンテ、キャラクター設定、背景、作画、動画、撮影、編集、音響、アフレコ....。
10秒のアニメを作るだけでも、途方に暮れるような膨大な仕事をこなさなくてはならない。
まるで海岸の全ての砂を1粒ずつ拾い集めるような仕事である。
彼らは、それを一人でやりとげ、作品を完成させるというのだから、余っ程の狂気の沙汰であるとしか思えないのである。

 

センコロール」に出会ったのは2009年。
27分の短編作品であるが、はんぺんのような得体のしれない生物・センコが次々に形を変えながらド派手な戦いを繰り広げるという斬新な世界設定・ストーリーは、一度見たら脳みそに焼き付いてしまうほどの強烈なインパクトがあった。とっさに買ってしまったDVDは今も大切な宝物である。

.......そして、あれから10年。
物語の続きを描く2作目が完成したという。

10年である。

本当に途方もない時間である。
雨の日も、風の日も、雷の日も。きっと作家の周りの環境にもいろいろな変化があったことだろう。
それでも10年間、その想いは決して変えずに、曲げずに作品を完成させたのである。
どうしても完成させたい、どうしても消えない、消せない、という強い想いがあったのだろう。
もうそれだけで、どんな作品であったとしても、喝采・祝福したくなる気持になる。

でも、そんな杞憂も全くの無駄であったと思えるほど、センコロール2もおもしろかったのである。
テツとシュウの対決という構図だった1の世界観がさらに広がり、新しいキャラクターたちと、語られなかった世界観が少しずつ明らかになっていく。戦いのシーンも更に迫力が増していた。
1作目と2作目の間にある10年間という制作時間も、技術や想いや作家の年齢等もろもろとなって、作品の中に焼きこまれているように思うのである。


作品そのものの面白さもさることながら、挫折せず最後まで丁寧に作り上げた監督の背中を想像するだけで、ぼくの中にも言葉にできない、熱い思いが沸き起こってくるのである。

1年に1作品でも。10年に1作品でも。時間がかかってもいい。でも決して気持ちはぶらさずに、確実に確かな作品を作りたい。しがない絵描きとしての僕も「いいものを作りたい」という気持ちが湧きあがってきたのである。

センコロールは魂に火をつける作品である。

あー、早くDVDにならないかしら。□

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https://www.cencoroll.com/

語彙!

 

「あああああぁぁぁ(語彙!!)」


言葉にできないもどかしい気持ちを、
ネットではこんなふうに叫ぶようです。

言葉が出てこないと感じることは、ぼくにも多々あります。
映画を観た感動を伝えるのに「面白かった。すごかった」ではなんだか味気ない。
自分ならではの感じ方をうまく言葉にして発信したいのです。
でもそれを的確に表す言葉が出てこない。さくさくと言葉が出てくるのであれば、きっと文章はあっという間にかけるのでしょう。文章を書くのに要する時間の多くは、きっと言葉探しにかけている時間だと思うのです。

昨今「美しい日本語選び辞典」なる本が人気のようです。
「こんなときどういう言葉を使ったらいいのか」を逆引きで調べられる辞典です。
面白そうな本です。まだ手にとってはいませんが、近いうちに目を通してみたいと思っています。

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でも、そもそも「言葉にする必要があるのか」という考え方もあります。

映画「海獣の子供」の中で「暗黒物質」というものにふれるシーンがあります。
ぼくらが見たり、触ったりしている「物質」は、この全宇宙の全ての物質のうちの、ほんのわずかでしかなくて、実はほとんど我々の目には見えない、感じることも出来ない「暗黒物質」で覆われているというのです。

ことばで表現できることなんて、この全宇宙から見たらきっとほんのひとにぎり、否、ひとつまみですらないのかもしれない。

言葉にできないならば、絵画を描く。音楽を奏でる。ダンスを踊る。という他の手段で表現したらいい。

海獣の子供」は作品そのものも、言葉で表現できない哲学的な問いかけを表現するために、映像を使っていました。

言葉でもいい。でもどうしても言葉にできないのならば、語彙に固執せず、自分にとってもっとも表現しやすい手段で表現するのが一番近道なのかもしれない。とも考えるのです。

海獣の子供」は、わかる/わからない映画というより、浴びる/感じる映画でした。□

今日の語録

 

「夫婦喧嘩のいいところは、仲直りできることね」

                    (ソース不明)


印象に残るカッコいい言葉。

誰が言ったか忘れちゃった。

あ、別に夫婦喧嘩している

わけではないですよ。(笑)

結晶力 Ver2.0

 

思いつきはなかなか形にはならない。


天空の城ラピュタで鉱山に住むポム爺さんが、
パズーとシータの前で鉱石を割って見せると、
わずかの間、美しい青い光が洞窟を照らした。

鉱石の中には空気に触れるとすぐに消えてしまう
飛行石という不思議な物質があって、
かつて太古の人々はそれを結晶にする科学技術を
もっていたという。

ぼくらが雑談でよく口にしている「思いつき」は
飛行石によく似ている。
「思いつき」は口に出たとたん、あっという間に
空気にのってどこかに消えてしまう。
その思いつきを、実際に「モノ」にするためには
とんでもない技術や遠回りする努力が必要になる。
飛行石の結晶をつくる果てしない技術のような。

ちょっとした作業やお金で簡単に手に入れられる
思いつきは、やっぱり浅い。
その脆さがあらわになってすぐにがらくたになる。


コロナビールが新しいビールの缶を発明したことが
話題になっている。
缶の上部と下部がネジのようになっていて、複数の
缶を連結できるという。

もとはスーパーで配布されるビニール袋をなくそう
という取り組みから、どのようにしたらなくせるか、
袋を不要とするには、もっと簡単にはこべたらいい、
ならば連結させられないか.....。
きっとそんなふうにアイデアが具体化して、かたちに
なっていったのだろう。

いくつもの思いつきがあったのだろう。
それらをただの思いつきではなく、誰もがすぐわかり、
便利に使えるかたちにした、全ての美しさに感服する。

 良いものになるまで、あきらめず試行錯誤を繰り返し、
手軽に手に入る浅いものに振り回されず、じっと耐え足元を掘り続ける。

美しいものづくりを実現するこの大いなる力を、
総じてぼくは「結晶力」と呼びたい。

ぼくらの生きる今は、結晶力が支える時代と言えるだろう。□

 

追伸:2008/8/24にも結晶力に触れてます。(Ver1.0)